九江学院日本語教師池田公榮さんの生活記録
虹の架け橋  2006・1〜

                                                           
   虹の架け橋@(平成17年3月〜 5月30日)
   虹の架け橋A(平成17年6月〜 7月30日)

   虹の架け橋B(平成17年8月〜 8月31日)
   虹の架け橋D(平成17年9月〜10月31日)
    虹の架け橋E(平成17年11月〜12月31日)
 
虹の架け橋F(平成18年1月〜2月30日)
                     虹の架け橋G(平成18年3月〜4月11日)特集・(九江学院鹿児島訪問)
      虹の架け橋H(平成18年4月00日〜5月31日)
 
     虹の架け橋I(平成18年6月07日〜06月29日)
      
虹の架け橋J(平成18年8月25日〜10月29日)
 
     虹の架け橋K(平成18年11月2日〜12月31日)
      虹の架け橋L(平成19年01月1日〜03月31日)
 

      
 
前ページTOPページ次ページHOMEページ

* 四川大地震について……2008/05/30…
九江市民と九江学院の皆様

  このたびの、四川大地震につきましては、規模および被害の甚大さにおいて類をみないほどのものです。

  被災されました皆様に心からお見舞い申し仕上げます。死亡なさいました方のご家族の悲しみを思いますと、一日も早く立ち直られますよう、祈念いたします。

  また、衣食住の問題も大変だとおもいます。こんなときこそ、すべての人が一致協力して、被災者救援に関心をもち、助け合うことができますように希望します。私も、地域の人に呼びかけ、当分の間、義捐金募集活動を行う決心をしております。皆様の精神的、環境的回復の一日も早からんことを祈るばかりです。

  
  私の町鹿児島市でも、一般市民の皆様の地震被災者に対する、同情は計り知れないものがあります。

  中国各地から鹿児島市内の大学に留学している中国人学生を中心に早速募金活動を始めました。中国領事館を通じて送金されるそうです。

  この募金活動には鹿児島市日中友好協会の方が多く参加され、街頭募金を行いました。

鹿児島市で行われた募金活動の写真および動画は以下のHPで観る事ができます。
http:nihao-kagoshima.jp
平安!!!

* 九江市の友へ……2008/01/05…
日本へ帰ってみたら鹿児島市に辛亥革命(1909年)の勇士黄興記念碑が建立されていました。

鹿児島から九江市民、九工学院の皆さんへの発信として送ります。

黄興(1874〜1916)略歴
 1874年湖南省長沙に生る。岳麓書院に学び、日本に留学する。中国革命の夢に燃え、夢を果たすも、志半ばにして上海に病死す。
 大の西郷隆盛好きで、1909年、西郷の眠る鹿児島の南州墓地を訪れ、以下の歌を残す。
 八千師弟甘同塚
 世事維争一局棋
 悔鋳当年九州錯
 勤皇師不撲王師

 誰いうとなく、黄興のことを「中国の西郷」と呼ぶ。

黄興についての詳しい記事は以下のホームページでご覧ください。

http://www.nihao-kagoshima.jpを開き
@辛亥革命と黄興
A西郷と黄興
B黄興の除幕式
以上の3ブログを是非お読みください。

私の願い
 私は九江の図書館で黄興について調べようとしまたが、ほとんど参考になる図書がありませんでした。

 黄興の墓は長沙岳麓山に誰より高い位地にに建立されています。中国を愛した志士たちの一人として、もっと中国の人に評価されてよいと思います。

 黄興を知ることによって、中国が清朝から共和制へ移行する経緯や、日本人が国としてではなく、個人として関わり、エールを送った人がいたことが分かります。

 従って、黄興を知ることは中日友好のルーツを知ることにもつながります。


写真左:九江の水辺
写真中:黄興が1909年西郷隆盛を慕い、墓参に来たことを記念する除幕された碑
写真右:除幕当時の新聞記事

* 新年のあいさつ……2008/01/04…
九工学院及び九江市のみなさま

新年おめでとうございます。

 新しい年が皆様にとって祝された年になりますように。日中の絆がますます強く大きくなることを念願します。

 私にとって、3年半の期間、九工学院の学生と交流することを通してささやかながら友好の絆を果たすことができました。
 
 迎えてくれた学院に感謝します。
 また九江で知己を得た多くの九江人に感謝します。 九江のキリスト教会の皆様に感謝します。

 これからの私の務めは、九江を日本の多くの方や方面に紹介し、あのすばらしい九江へ足を運んでいただく宣伝とお手伝いをすることと考えております。また、反対に、九江の人が鹿児島に足を運んでくれるように希望しております。

 九江市は奈良、岡山との接点はありますが、鹿児島との接点はまだです。

 実は九江と鹿児島には多くの共通点があります。 

 自然遺産で廬山と屋久島、温泉で星子と指宿・霧島、文化で鑑真和尚の東林寺と坊津、そのほか農業、園芸、魚貝類の養殖などで多くの共通点があります。

 これらの自然や文化を相互に発信し、協力することが互恵につながると思います。

 今までの私の書き込み「虹の架け橋」は、主に九江から発信しましたがしばらくは鹿児島からの発信になります。お読みいただければ幸いです。

 2008年正月    鹿児島 池田公榮 

写真左:新春の鹿児島 桜島は鹿児島のシンボル

写真中:種子島の新春 日の出

写真右:新春の種子島 鉄砲伝来記念ブロンズ(1543年ポルトガルから伝わった火縄銃を国産銃につくりあげた八板金兵衛像)

* 上海で……2007/12/17…
2000・12・11(火曜日)
 上海で卒業生の呉越さんと会う。南京路など散策し、昼食と夕食を共にする。
 
 彼女は九江で最初に担当した生徒。九江市武宇の出身だが、両親が蘇州で事業を興している関係もあって蘇州での就職を願った。

 幸い、SONY関係の企業に就職でき、上司からの信頼も篤いようである。

写真左:南京路での記念写真

写真中:廬山の明けがた

写真右:浦東国際空港を飛び立ち 

* 九江を離れる……2007/12/17…
2007・12・11・月
 九江学院の皆さんや、学生たちとお別れ。

 3年半過ごした九江にお別れする。

 出立の間際まで学生が入れ代わり、挨拶に来る。

 また、この地に来たいという希望があるが、実現するかどうか分からない。そのときは旅行者の一人として、もう一度学生たちを訪ねたい。

写真左:駅まで見送りにきてくれた、うこうさんや、呂栄さん、教会の程さんたち

写真中:見送りに駆けつけた学生たちと

写真右:外国語教師の世話を担当してくださった帥さん

* 学生の料理……2007/12/09…
2007年12月8日土(曇り)在中国九江

 学生のグループが手作り料理でお別れ会をしましょうと食材を買い込んで来た。家内も手伝わせず。「奥さんは休んでいて」と炊事場を占領されてしまう。

 なんと、男子学生が料理を主導する。普段見ることのない場面である。手つき、包丁さばき、味付けなどが素人離れしている。実家が食堂なんだろうか。女子学生ももっぱら脇役だった。

 途中で油が足りなくなって、ある女子学生は買い物に走る。中国料理はやはり油を沢山使うんだとつくづく思う。 

 さあ、出来上がり。みんなでいただきまーす。「うーん、おいしい。」(ハウチー) 

 中国人が味付けしたものは、家内の味付けとどこか違う。


写真左と中:台所は学生に占領されて

写真右:食事の後で、一同カメラに収まる

* 取材を受ける……2007/12/09…
2007年12月7日金(晴れ)在中国九江

 外事弁のう紅さんの肝いりで、テレビ局の取材を受けることになり、「日本人患者回復する」とでも言う番組の作成に付き合った。

 病院での感謝旗の贈呈、学院での生徒たちのインタビューなどに付き合った。12月10日の地元テレビ局で放映されるそうである。

写真左:デレクターとカメラマンとともに

写真中:学生たちとキャンパス散策の風景

写真右:学院キャンパス散策場面

* 術後の検査……2007/12/09…
2007年12月7日金(晴れ)在中国九江

病院での検査
11月16日に退院して以来、10日に1回の割りで、術後の検査を受けるように指導され、実施した。

2回にわたり、問診と心電図検査を受けたが、いずれも順調に回復し、「教壇に立ってもよい」とのことであった。また、いつでも帰国しても大丈夫との太鼓判を押された。

担当医師や看護士の皆さんの愛と真心のこもった治療介護には心から感謝したい。その印となるようにと、「感謝旗」を作って贈呈した。快く受け取ってくださったのでうれしかった。

写真左:感謝旗を贈呈する

写真中:主任医師(手前)はじめ、看護士の皆さんとともに心電図の検討

写真右:病室で知り合った患者さんを慰問。

* 于紅さんのこと……2007/12/06…
  于紅さんと出会ったのは3年前の夏、教会であった。彼女は信徒ではないが、以後最もお世話になった中国人の一人である。彼女は以前日本に通算8年ぐらい過ごした方。

  最初は茨城県宇都宮市で県庁国際交流課の交流員として勤務されたことがある。

  以後、大和高田市と九江市の友好事業にも深く関わり、現在では九江市の九江市人民政府外事弁公室に勤務し、中国要人の外国訪問手続きを一手に引き受けておられる。

  今回の入院については誰よりも心配してくださり、朝夕の食事のことから、病院との交渉、新聞社のインタビューのきっかけなどを作ってくださった。

  于紅さんの日本語能力は抜群で、通訳としても優れており、九江学院の日本語科の生徒にとっては憧れの的。日本滞在中、鹿児島も訪問旅行されたと聞いた。

  日本のことをよく理解しておられる于紅さんの存在は日中友好に欠かせない存在である。


九江市人民政府外事弁公室于紅
九江市十里大道225号海岸賓館5楼
TEL:(86)792-822-7911
FAX:(86)792-8227100
手机13979299004, 8187150
E-mail:yuhong_jj@163.com
SKYPE: smile_uko

写真左:右側于紅さん
写真中:左端于紅さん
写真右:九江市長江側

* 遅咲きのヒマワリ……2007/11/27…
2007年11月27日火(快晴)在中国九江

 11月も終わりともなれば、九江はコートなしでは外出できない季節である。朝夕はストーブも恋しくなる。日本も北陸では積雪のニュース。冬が駆け足でやってくる。

  こんな季節に九江学院国際交流室の入り口にヒマワリが咲き誇っている。今年は4月に蒔いた種が7月に開花し、9月に蒔いた種が今開花した。この分だと12月10日ぐらいまでは綺麗な黄色を鑑賞できることだろう。

  学院の生徒教師らも花を観て大変喜んでいる。ある青年は苗が欲しいといって、蕾の付いたものを土をつけて根ごとも持ち帰ったものもいる。ネパールからの先生は自分のパソコンの壁紙に貼り付けたりした。また、カメラに収める人も多い。

  この時期にヒマワリが咲くことはすでに実験済みである。数年前に、鹿児島で12月に開花させたとき、NHK鹿児島が全国に放送したことがある。折しも寒波が全国に舞い込んだタイミングで、全国の皆さんの心に太陽の光ならぬ鮮やかな黄色の温かみをプレゼントができた。

  遅咲きのヒマワリはまた、子供の成長や教育で悩んでいる親御さんたちに励ましを与えたりもした。「こんなに季節を外れて咲くヒマワリもあるんだということを知り、勇気付けられました。種を植え、水をやり、病気を予防しておれば、遅くなっても花は咲くんですね」と遅咲きのヒマワリとわが子の成長の遅れを重ねて勇気を持ってくれた人もいた。

  九江学院でもよく出来る学生もいるが、半分ぐらいは勉強はしても、なかなか上達しない日本語科生徒がいる。「教え方が悪いのかな」など自分を責めたりもする。

  こんな生徒に「遅咲きのヒマワリの実在」を示したい。「汝、憂うるなかれ」。「しいら豆の先走り」(実の入らぬ豆は早くはじける)という言葉あり。遅咲きでも人を感動させることができるのだ。


写真左:季節はずれのヒマワリ(人物の後ろにある黄色は中国の野菊。春移植したしたものがいっぱい咲いて人々を喜ばせた。

写真中:ヒマワリの近影。

写真右:九江学院国際交流センター入り口で

前ページTOPページ次ページHOMEページ

*KIWI*Skin Designed By くるの猫又
- Topics Board -