九江学院日本語教師池田公榮さんの生活記録
虹の架け橋  2006・1〜

                                                           
   虹の架け橋@(平成17年3月〜 5月30日)
   虹の架け橋A(平成17年6月〜 7月30日)

   虹の架け橋B(平成17年8月〜 8月31日)
   虹の架け橋D(平成17年9月〜10月31日)
    虹の架け橋E(平成17年11月〜12月31日)
 
虹の架け橋F(平成18年1月〜2月30日)
                     虹の架け橋G(平成18年3月〜4月11日)特集・(九江学院鹿児島訪問)
      虹の架け橋H(平成18年4月00日〜5月31日)
 
     虹の架け橋I(平成18年6月07日〜06月29日)
      
虹の架け橋J(平成18年8月25日〜10月29日)
 
     虹の架け橋K(平成18年11月2日〜12月31日)
      虹の架け橋L(平成19年01月1日〜03月31日)
 

      
 
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* 九江で入院(総括)……2007/11/18…
2007年11月17日土(晴れ)在中国九江

 入院加療の総括

今回、はからずも家族と離れる九江市で心臓発作を起こし、急遽入院加療することになった。私なりに総括し、他の参考に供したい。
声を大にして言いたいこと

1、 中国人の優しさ
2、 中国医療技術の進歩
3、 信仰による平安

 である。その内容については拙文「九江で入院」@〜Eにまとめられているので興味のある方はお読み願いたい。

 「人間どこへ行き、どこで住んでも是天国」というのが私の感想である。祈ってくださった方、心配してくださった方、親切にしてくださった方、医療従事者の方、九江学院の方、九江市政府の方ほんとにありがとう。

 謝謝!謝謝!  2007・11・18池田公榮記


kenhou の発言:こんにちは
kenhou の発言:もう家に帰りましたか
池田公榮 の発言:こんにちは。お世話になりました。昨日退院しました。いまとても元気だよ。
kenhou の発言:そうですか、よかった

写真説明
九江学院付属病院 医学部キャンパスの一角に病院がある。

* 九江で入院E退院……2007/11/18…
2007年11月15日木(晴れ)在中国九江

体力も日々加わり、30分ぐらい屋外にでて歩くがなんの障害もでない。いよいよ退院の日も近い。皮下注射も1かいとなり、検温もなくなった。確実に正常になりつつある証拠だ。感謝!

  呂栄のこと。彼女は毎日午後食事を運んだり、身辺の世話をしてくれる。「そんなにがんばると疲れるよ」といっても、「何もしないでいることのほうが疲れます。心配しているより、先生のそばにいたほうがいい。」といって聞かない。時々は私の好きな天津栗を買ってきて、剥いて食べさせてくれる。マッサージをしてくれる。いやはや身内のものように熱心である。孫の看病と理解して感謝して受ける。

  昨日の新聞取材で、九江晩報に入院生活の記事が写真入でていた。散髪屋にいくと、「あ、今朝新聞に出ていた人だ」といって喜んでくれた。すっかり有名人になったものだ。

  あすは退院となると、少し興奮気味でなかなか寝付かれない。バカヤローの公榮!主に頼るものは平常心平常心。しっかりせいと自分に言い聞かせる。

 
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射1回、血圧測定4回、服薬5回、点滴1瓶、検温0回


2007年11月16日金(雨のち曇り)在中国九江
午前:点滴

退院
  午後、入院加療費の清算をし、九江学院国際交流課の呉さんの迎えで車に乗り、無事宿舎についた。19日ぶりの宿舎の生活。あすは病院生活の総括をし、心の整理をしたい。

* 九江で入院D記者会見……2007/11/18…
2007年11月12日月(晴れ)在中国九江

午前回診、点滴。

  午後:新聞社やテレビ局のインタビュー
新聞社3社、テレビ局1社。于紅さん通訳。インタビュー内容おおよそ次のとおり。

1、 Qどんなきっかけで九江へ来たのか A:九江へ来ることは十数年来の希望であり、2004年9月その希望がかなえられたこと。九江出身の吉原さんに出会ったことで九江学院へのボランテアの路が開いたこと。幼少時、九江にいたことなど話す。

2、 Q幼少のとき中国人のこどもと遊んだことがあるか。A:よく遊んだ。

3、 Q:そのとき何か迫害などはなかったか。A:全然ない。自由に楽しく遊んだものだ。安全だった。両親も中国人と遊んではいけないとは一言もいわなかった。

4、 Q:幼少のときと今とで、九江が大きく変わった印象は。A:甘とう湖や南湖の風景は昔のまま。ただ、建築物が高層化した。67年前は、平屋のレンガ造り瓦葺の家ばかりであった。多きいい建物といえば、教会、寺院、病院、銀行、学校ぐらいだった。

5、 Q1945年ごろの日本の教育はどうだったか。A:鬼畜米英・大東亜共栄圏を叩き込まれた。中国には何も恨みはなかった。大東亜共栄圏といってもそれは建前で、実際は日本が中国へ侵攻し、中国人民に多大な迷惑をかけたことは心が痛む。

6、 Q:ここ2、3年の九江生活でどんなことを感じたか。A:中国の若者たちの学習熱心。老人をいたわる気持ちがとても優れていると思う。たとえば、公共バス内でどんなに混雑していても、席を譲ってくれるなど。徹底している。まず、100%だ。そのほか、物価が安いので助かる。とても暮らしやすい。経費が日本の10分の1ですむ。。

7、 Q:中国の医療についてどう思うか。A:とても進んでいる。私は今回自分の治療で先端技術による提供を受けた。それに、医師も看護士も職員もみな親切だ。誠心誠意で取り組む気持ちがよく伝わった。感謝している。それに、学院関係者、学生が日夜見舞いや看護の手伝いをしてくれた。泊り込みの看護には恐縮のほかはない。また、同室の入院患者とも親しくなり、かれらも病院生活の要領を親切に教ええくれた。

  その他、学歴、日本での職業について訊ねられた。また、居合わせた学生にもインタビューしていた。

回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温2回

  夜、息子の基宣から竹川さんが52歳で逝去したこと。信一が就業中に落下して肋骨4本を折り、入院したこと。孫の翼がサッカー試合中に靭帯裂傷の事故にあい、入院したこと。等の連絡があった。

  「すべてのこと合い働きて益となる」の御言葉を信じて、各人このことを通していっそう主に近づくことであろう。


2007年11月13日火(晴れ)在中国九江

  午前8時于紅さん来る。退院の件について主治医と院長に聞いてくるとのこと。退院は16日金曜日となった。

  午前11時過ぎ九江教会の役員牧師4名見舞いに来る。祈りをし、賛美を歌う。同室には、他の人が誰もいなかったので、大きな声で賛美することができた。

回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認・手術の傷口の状況確認)皮下注射2回、血圧測定4回、服薬5回、点滴2瓶、検温2回



2007年11月14日水(曇り)在中国九江

  気分爽快。午後散髪の為外出する。バスを使い、往復したが、体には異常なし。すっかり、正常になったようだ。学院外国人交流センターの帥さんとオスカーさんが見舞いに来る。

  家庭教会の蔡牧師夫妻が見舞いに来る。ベッドわきで祈ってくださる。

回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定4回、服薬5回、点滴1瓶、検温1回

  病室の見舞い人が時々マッサージをしてくれる。ことの起こりは、頭痛がしたとき学生に頼んで頭部こめかみを指で押さえてもらったとき、隣の老人を看病に来ていた40歳過ぎの婦人が見ていて、いきなり学生に「そんなんじゃ駄目」とでもいいたかったのだろう。「どれ、交代」といって頭をさすり、もみ始めた。その気持ちよいこと。すっかり満足して「謝謝」の連発。このサービス4回ほど無料でいただいた。

 神様はいろんな人を送ってくださるものだと感謝!


写真:現地新聞のスキャン

* 九江で入院C……2007/11/18…
2007年11月8日木(晴れ)在中国九江

学生たちの対応

  日本語科の学生は合計で360人余である。そのうちの120名ぐらいが、見舞いに来たと思う。「先生。元気になりますよ」 ありがたい励ましである。

 「元気になるよ。勉強はしっかり続けようね」、「はい、しますよ」、とかわいいらしい。

  あまりひっきりなしに来られると、患者のためにも、周りの同室患者のためにもよくないということで、主任教師が代表で行くように調整してくれた。昼間は女生徒2人、夜は男子生徒2人が交代で看病に付き添ってくれる。

  ほんとに「ご苦労さん」と何度も何度もいった。女生徒たちの柔らかい手で手をさすってもらったり、頭をマッサージしてもらうととても気持ちよかった。孫に看病さている錯覚を覚える。

回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回


2007年11月8日木(晴れ)在中国九江

手術と平安
 手術にあたり、担当医師から「不安はないか」「鎮静剤をあげましょうか」と提案があったが、自分としては何の不安もなかった。平安そのものである。神がともにいてくださるのに何の不安があろう。「鎮静剤はいりません」ということで手術台のあがることにした。

  午後3時、迎えの車が来て、手術室に運ばる。てっきり、付属病院の施術室と思いきや、七一七解放軍病院の施術室に運ばれた。

  この場所は1945年8月までは日本軍の陸軍病院であったところ。なにか不思議な縁を感じる。

  3時10分、南昌から出張された、博士が執刀されることなる。この博士四十代の人で、経験、技術ともに豊富な方と聞く。そこまで、わたしのために配慮してくれた学院・病院・市政府スタッフの皆さんに感謝したい。

  局部麻酔をうち、体のあちこちに心電図のアタッチメントをつけられた。ツッ・ツッ・ツッ・・・・という定期的な音と、目前にライトが強く感じられた。でも気分は安定している。

  67年前、この地で他界した弟の姿が急に浮かんだ・「清ちゃん、兄ちゃんも手術だよ。見てナ」また、「主よ、あなたの十字架の苦しみは如何ばかりでしたでしょう。そのおかげで、世界中の人々が、死から解放されました。僕も平安です。もし、この世で命を落としても、あなたの国へ移されるなら、もっと幸いです。すべてをみ手に委ねます。生きるのも主のため、死ぬるもまたよし」と祈る。

  右手首を切開し穴をあける。次に心臓まで挿入する器具が装着され、局部麻酔が打たれ、疾患部分の動脈を広げる作業に入る。何か異物が手首、腕、右骨下、心臓へと入っていくのが感じられる。

 多少の痛みも感じる。「OK」「OK」という医師たちの掛け声がはっきり聞こえる。「ハーラ」(成功・終了)の声。

 約40分間で手術は終わった。「ハーラ」。医師たちはマスクをはずし、自分もモニター室に運ばれ、術前の悪い血管の部分の動画と、器具挿入し、血管を広げる作業の動画、および、作業終了後に、血管が正常に働いている動画を見せてくれた。まったく、感謝!

  「新しい命をもう一回いただいた」という実感。帰りは歩いて車のところまで行き、入院室に向かう。かくて、午後4時30分、付属病院入院病棟9階17号ベッドに落ち着く。あとは点滴と血圧測定が一時間毎に行われる。

  この晩は、絶対安静ということで、小便も尿瓶でとった。とても、快適とはいえない。尿意はあるのに、尿がなかなか出て来ない。最初のひと吹きがでると、あとは気持ちよく出る。点滴6瓶も打ったので、6回ほど寝たままで放尿する。

  かくて、手術第一日は過ぎた。1時間ごとの血圧測定で、結局眠れなかった。外は、白々と明けていった。


回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定10回、服薬5回、点滴6瓶、検温3回


2007年11月10日土(晴れ)在中国九江

安静と瞑想

  術後の安静に心がける。発作らしきもの全然なく、気分も爽快。

  健康になり、帰国したら今まで以上に日中友好の働きをしたいと思う。また、うとうとしている間に思いついたことを文書にしたためておこう。霊界の饗宴を書くこともそのひとつ。

回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、検温3回、点滴3瓶


2007年11月11日日(晴れ)在中国九江

家族との連絡

  日本にいる子供たちに手術の成功と快方に向かいつつあることを連絡する。こどもたちもみなほっとしたことだろう。

  2人部屋があいたので移るかと看護婦がいったので、移動した。しかし、もう一人の先客はタバコの喫煙者で、「しまった来るんじゃなかった」と思ったが、その患者は点滴が済めばさっさと帰宅するので助かる。1日3時間の辛抱だ。窓を開けてできるだけニコチン臭を外に出す。

  
 回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶 検温3回、心電図測定

  入院して2回目の聖なる日である。教会へいけないが、マタイによる福音を通読する。この福音書はユダヤ人向けのイエス伝といわれる。「なになにすべし」的表現が多い。イエスの民衆に接する姿、奇跡、祈り、悲しみ、怒りがつづられ、十字架への路が堂々と記されている。

  十字架と葬りと復活。これはすべて聖書(旧約聖書)にある予言の成就として行われたとマタイはいう。メシアとして予言されていることがこのイエス・キリストによってすべて成就したことを強調する。したがって、イエス・キリストこそがメシア(約束の救い主)であると結論する。


* 九江での入院B九江で手術する事を決心……2007/11/18…

2007年11月6日火(晴れ)在中国九江

教会の兄弟姉妹の見舞。九江市キリスト教会・九江県キリスト教会ん・九江学院学生信徒集会・大樹の下家庭教会の皆さんが入れ替わり見舞いに来てくださる。信徒の見舞いは、祈りを伴うのでとても心強い。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回


2007年11月7日水(晴れ)在中国九江

九江で手術を受けることを決断

入院していても日はどんどん過ぎていく。さて、日本へ帰って治療するか、九江でするか、決断しなければならない。日本で治療したほうがいいと薦める人はたくさんいた。

でも、11月29日緊急入院以来、朝6時ごろ、トイレにおきると決まって小さな発作が起きる。時には、冷や汗が出るほど抓めることもある。如何にして日本までたどり着くか、とても自信がない。妻と相談し、家族にもその旨連絡し、九江で治療を受けることに決断した。

すべてを神に委ね、九江の医師、医療技術を信じて委ねるのが一番と決心した。かくて、決心がつくと、その旨、主治医に伝えた。主治医は、病院関係者一丸となって、治療に当たること。南昌から、この種の手術に経験豊富な医師を要請してあげること、心配しないでわれわれに任せてほしいといった。

もとより、信頼しているので、心から「アイ トラスト ユウー(I trust you)」といった。心はとても平安で何の心配もない。


同室の患者やその家族と友達になる。
入院して一週間もすると、同室の人々との関わりが面白くなる。まして、日本人が入院しているという噂はそこら中に飛び交う。そんなわけで、はじめは「ニーハオ」だけの挨拶だが、だんだんと話が弾むようになる。病状を尋ねる人、心臓疾患によい食べもの、悪い食べ物などの講釈。いつの間にか、心が通うようになる。中国語は単発しか話せないが、気持ちは結構伝わるものである。食事をしていると、わざわざ食べているものを観察し、「これはいい、・・・いけない。」と注文が出る。どこにもお節介屋さんはいるものである。そんなひとは即実行の人でもあり、翌日は野菜やさかなのスープをもってきて食べなさいと差し出してくれる。こんなそんなで、九江人はとても親切だと思う。

回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回

* 九江で入院A……2007/11/18…
2007年11月1日木(晴れ)在中国九江

  同僚の先生方も授業の合間を見て、見舞いに来てくれる。魚のスープが体にいいからと手作りの料理を持参する先生も。いやはや恐縮の至り。生徒たちがあまり次々見舞いに来るので、病院側が調整するように学校側に申し入れたらしく、今日ごろから人数を減らしてきた。その代わり、2名ずる必ず付き添うってくれるようになった。昼は女学生、夜は男子学生である。特に男子学生は不眠で付き添ってくれるので、こちらのほうが恐縮した。

  週18時間受け持っていた授業はWeeksさんと木村さんで肩代わりしてくださることになった。すみません。

病院生活はメニューどおり
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回


2007年11月2日金(晴れ)在中国九江

  樫根会長の見舞い。丁度九江を友好訪問しておられた奈良県大和高田市の九江高田友好会会長の樫根さんと木村さん、菅谷さんが見舞いにきてくださった。治療手術は日本でされることを盛んに薦めてくださった。感謝して、手術場所を決断するときの参考にさせていただくことにする。

  病院生活はメニューどおり
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回


2007年11月3日土(晴れ)在中国九江

 特にお世話になった人。九江市外事弁公司の于紅さんには特別にお世話になる。彼女は私のために何日も職場を休んで食事を運んだり、病院との交渉ごとに取り組んでくださった。あとで分かったことだが、九江市で初めて外国人が入院したというので、万善を期すように上司に言われたそうで。その後は公務で来てくださった。その上司も花を持って見舞いに来てくださる。また、呂栄さんも毎日ベッドを訪れ、手作りの食事を運んでくれる。
病院生活はメニューどおり
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回


2007年11月4日日(晴れ)在中国九江

樫根会長3回目のお見舞い。明日11月5日は早朝九江を離れ、高田市に帰られるということで、お見舞いをいただいた。菅谷さんも同行された。みなさんほんとにありがとう。毎日がほんとに感謝感謝の生活で「ありがとう」の連発である。
病院生活はメニューどおり
今日は主の日。いつもなら必ず教会へ行くのであるが、今回だけは動けなかった。ベッドの上で、み名をたたえ、祈る。主の加護を信じて心は平安である。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回


2007年11月5日月(晴れ)在中国九江

  学生や、于紅さん、呂栄さんの見舞いや、病院との手術の費用とうについて交渉してくださる。

* 九江で入院@……2007/11/18…
突然の発症

2007年10月29日月(曇り)在中国九江

  平常どおりの生活をし、午後の授業に備えていたとき、突然胸が張り裂けそうな痛さを覚え、冷や汗をかいて床に倒れてしまった。これはただ事ではないと、階下のネパールの外国人教授を呼び、国際交流センターのオスカーさんの運転で学院の病院へ運んでもらった。

  血圧測定、心電図、レントゲンを撮ったあと、即座にここでの資料を持参し、学院付属病院心血管病棟(9階)へ運ばれる。付属病院でも血圧、心電図をとり、即、入院と相成った。

  このときは、すでに痛みは治まっていたが、当分検査入院を余儀なくされることになる。家内は、着替えや入院に必要な最低限の身の回り品を持ち込んだ。

2007年10月30日火(曇り)在中国九江

検査のための手術を受ける

 部分麻酔を受け、右手動脈に器具を挿入。造影剤を注入し、心臓および周辺の機能を映像で映してもらった。病名は冠心病。日本ではなんと言う病名がついているのだろうか。環状脈不全とでも言うのだろうか。

 検査の結果、不全動脈の血流をスムーズにする治療をしなければならないということになった。九江で治療するか日本へ帰って治療するかを決めねばならなくなった。主治医は家族とも相談して決断するよう促した。とりあえず、家族に発作と入院のことを電話で知らせる。

 また、検査手術を受けるにあたり、20項目以上の確認事項を読まされ、これに同意のサインをした。その内容は、ペニシリンショックはないか、他起こりうるあらゆるリスクが列記され、それを承知で手術に臨む段取り。

 入院時の病院の一日のメニューは通常次のとおり。
AM6:00 血圧測定・体温測定(朝食はなし。各自自前で摂る)
AM8:00 回診(問診・聴診ほか)
AM8:00 血圧測定・ペニシリン剤皮下注射・投薬(飲み薬)・点滴
AM10:00 血圧測定・血液検査体温測定
AM12:00 血圧測定・錠剤服薬(昼食は給食なし。自前で摂る)体温測定、点滴(栄養剤ほか)
PM14:00  血圧測定
PM16:00  血圧測定(たまに血液検査用の採血)
PM18:00  血圧測定・錠剤服薬、皮下注射(ペニシリン系)
PM20:00 血圧測定・錠剤服薬・検温
以上が私の場合の入院生活の流れである。以下、通常入院生活と記した場合は上記の経過を繰り返すことと理解されたし。
以上をまとめると
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)、検温3回、皮下注射2回、血圧測定4〜6回、服薬5回、点滴2〜3瓶となる

* 月光下的九江の夕べ……2007/10/27…
月光下的九江の夕べ(音楽会)

 昨年落成した九江市音楽堂で表記の音楽会が開催され、招待されて鑑賞した。

  この音楽堂、外観は長江に浮かぶ船をアレンジした形の音楽堂である。

  今回友好団員として訪問されたアメリカ・ケンタッキー州・スイスビル市の楽員23名が演じる近代ジャズ音楽がメインだった。

  舞台背景は、演奏会名のごとく、長江に映える満月をセットし、雰囲気をかもし出している。

  最後、「なつかしのケンタッキーホーム」が合唱され、小生も高校時代盛んに歌った思い出と共に口ずさむ一夜だった。

* 友好団の皆さんと交流……2007/10/27…
大和高田市友好団・岡山玉野市友好団との交流

  先の大和高田市(10名)および玉野市の一行(2名)が九江学院を訪問され、歓迎式典と、日本語学科の生徒との交流の時間が設定された。

  高田九江会は上記友好団体では最も歴史が古く今年25周年記念に当たるそうで、さしずめ銀婚式である。日本の漫画が100冊贈呈され、早速友好の部屋(昨年設置された特別交流室)において多くの学生に利用させてもらうことになった。

  日本から、熟年留学や、日本語教師としてもっともっと参加が多くなればいいと念じることであった。


写真左:岡山県玉野市副市長さん(池田の隣)、県議さん(副市長さんの隣)とともに。

写真右:交流団の皆さんを向かえて九江学院日本語科生徒の遊戯「もみじ」で歓迎。


* 霧に映える映像……2007/10/27…
霧(水しぶき)に映える映像

  2007中国九江国際城市大会の記念行事の一つとして、九江市南湖畔のはす園展望台で夜の噴水鑑賞と噴水をスクリーンに仕立て、友好都市の紹介映像を映す夕べが開催され、小生と妻も招待された。

  九江市の夜景と色とりどりの噴水、各友好盟約都市の映像紹介が湖水に映し出された。地もとの大勢が詰め掛ける中、客として招かれたわれわれは特等席に案内され、ゆっくりと鑑賞させてもらった。水を利用したこの種の観覧は日本では経験したことがなかった。(あるいは、日本でもあるのかもしれないが)ひと時幻想の世界に入る。


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