鳳 凰
ホン ファン feng huang
2004・5・29
8:45 長沙駅

 吉首行硬座2階建寝台車で鳳凰に向かう。

初めて乗るタイプである。とても中国の〈
失礼)火車とは思えない垢抜けた車体である。何だかワクワクさせてくれる。いつか、長崎から博多へ向かう時に乗った快速がこんな感じのしゃれた車体だったのを思い出す。

 先日、蘭州から西寧への昼の硬座も2階建て火車だったけど今日のは寝台である、何といっても、約14時間乗ってるわけだからやはり良い列車にかぎる。
 どんな構造かというと、1,2階、ニ段づつになっている。つまり、上段無しのゆったりニ段である。ぼくと小燕はあいにく続き番号なのに背中合わせの席になってしまった。

 小燕は不満らしく、自分の向き合わせの乗客にしきりに交渉を始めた。 はじめは無視していたその客もとうとう最後は根負けしたのか、しぶしぶ席を替わってくれた。彼女がニャリと笑って打ち明けた話では
 「アタシ イイマシタ アタシタチ シンコンリョコウ デス。イッショムキ
 デナイト さびしいデスネ。」と

 あの人「ショウガナイネ」と言ってたよ。・・・・・・・・・とクスリと笑った。
夜汽車も慣れてきた。先ほど駅前の五一大路にある「松花江餃子店」でふたりで三人分のギョーザを食べてきた。来る前にウォルマートでふたりの好物であるスニッカーチョコレートも8個買った。もちろん「アハハ」もしっかり2本買ってきている。

 ところで鳳凰は、どんなところなのか?

 鳳凰は長沙に滞在している日本人留学生や社会人等、ほとんどの人が「行かれましたか?」「こちらにいらっしゃる間に是非行かれるといいですよ。」と薦められる所である。彼らが言うには
 「もしここ長沙にいるから鳳凰は近いけど日本に帰ったらわざわざ鳳凰までは来ないと思います。日本人用ツアーはありませんし」と。
 折角近くに居るのだから、こんなチャンスはないというわけである。

 「鳳凰って一体どんな感じの観光地ですか?」
 と尋ねると
 「そうですね、古い昔の中国が残っています。昔にタイムスリップですかね。」
 それ以外はズバリと表現してくれない。長沙にいるぼくの近辺の中国人もハッキリとした答えをくれない。よく訊いてみると
 「実はまだ行ってないんです。行ってみたいのですが」
 と言う答えである。
 それでも少ない言葉からイメージをまとめてみるとこうなる。
 
水郷・老街・古城・少数民族・南の万里の長城・沈征文〈作家)・・・・
 
 吉首の駅に着いたのは夜明け間もない頃だった。
 

 駅前に迎えの現地ガイドが来ることになっている。
 ガイドが見つかり、小燕がガイドと打ち合わせしていると、そこに同行の他のツアー客が来たようである。
 小燕がその同行ツアーと顔をあわせたが「アイヤ!」
 ・・・とびっくりした声をあげた。

 「一緒のグループはあなた方ダッタデスカ?」〈中国語デス。)
・・・大きな声(原語)が飛び交う。なんと、
 寝台車のぼくたちの席の下段のふたりの男性とその隣のブースの若いふたりの女性4人が今回の鳳凰グループだったのである。

 女性のうちの1人はまだ高校生か?そんな感じのギャルで何度も夜中にぼくたちのブースの男性(お父さん?)を尋ねてきて、実はうるさかったのでよく覚えていた。
 かくて、たった6人という、今までのツアー最小単位の2日間の旅が始まったのである。
 
 今日の見学コースはまず鳳凰古城へ行き民宿に入り午前中は古城の中の見学、船に乗って沱江下りそして、昼飯をとった後南方長城というミャオ族の作った長城を見学して、そのあと、黄絹橋古城をまわる。
明日はミャオ族の部落、大きな瀑布、それから鍾乳洞を見学して夜行で帰って来る。
 

まず沈征文の旧居を見学する。沈征文は1902年鳳凰で生まれた小説家で生涯に70冊の本を書き、鳳凰や張家界を世に紹介した人として有名である。

旧居は四角い中庭を4つの建物が取り囲む四合院と呼ばれる建て方で正面の建物の中央の部屋には沈征文の肖像が飾られている。


 中国語を日本文に翻訳して紹介された写真本から沈征文のことを次のように書かれている。日本文の訳が少しおかしいけど原文のまま記してみる。
 ・・・15歳の時、生まれ育った家をでて、生命の道が始まりました。彼は酉水、ゲン水流域で何年間か逗留して、青春の夢をもって、美好的な筆と心で《辺城》《長河》《ショウ行散記》《中国古代服飾研究》など世界でも有名な文学作品を書いた。20歳のとき、単身、北京に出た。そして、一生の間に70冊の作品を書いた。

 代表作のかずかずは北京だけではなく、世界をも征服した。寂しい、不安定、晩年に、彼は中国古代服飾に専心した。彼の優しい、悲しい心、彼の負けない品格はわれわれに文学の財宝だけではなく精神的な財宝も残してくれた。最後、彼は故郷に帰り、自然とともに属した。

 彼は自分の生まれ育った故郷の素晴らしさを世界のひとに知らせたく晩年はそのために腐心した。
 今、鳳凰はその素晴らしさを世界の人たちの憧れとなった。
 更に写真本の紹介は続く、

 永遠の鳳凰
 鳳凰の美は派手な着飾りが人目をひきなり、圧化粧ではなく平あっさりして奥ゆかしい清純が安らかである。おっとりしていて美しい。

 それは古い出会って昔かたぎではない。それは高潔であり名声が物欲にとらわれない。
 横から見ると一幅の絵に見える。縦から観ると詩一首に見える。遠く見ると一文字に見える。近く見ると本一冊に見える。

 浅く深く見てもそれは歴史に青レンガ一枚に見えて文化の地図一枚です。
 画帳を開くと一条の河流が古い城をたずさえて真正面から顔に当たってくる。 柔らかで美しいのはやはり沱江です。

沱江は深い時間の中で浮き上がるニジである。柔らかで、青色で澄み切ってで変化に富んでとらえがたい。 


  沈征文(1902〜1988)

 ところで、
 鳳凰大橋の上から虹橋方向を眺める景色は本当に素晴らしいものだった。
 しかし、この光景をもっと具体的な言葉で表わすとしたらどう言えばいいのだろう。
 先に表現したように「本当に素晴らしい」「ヘンピャオレン美しいデスネ」「うーん!!」などと副詞や形容詞を並べるだけで他に適当な表現方法が見出せない。
それはつまり、風景をそれぞれ見る人の感性がどうとらえるかにかかっているからである。
 鳳凰を薦めてくれた人たちから明確な理由を得られなかった訳が今、分かったような気がした。

 鳳凰のこの景色を言葉で表現するのは困難なのである。現実の風景の美しさよりその風景から思い起こされる恐らく見たこともない遠い昔の想像の風景をタイムスリップして見ている不思議さ、みたいなものといったら少し近いのかとも思う。だから、それはいわゆる原風景とも違うのである。
「それでいいんだ。」とぼくはこの景色を眺めながら思う。
 そして今、ぼくもまた同じように人に薦めたいと思う。

 《鳳凰に行ってみませんか?そして、鳳凰大橋の上から岸辺で洗濯をしている老若の女性達の姿を、そして彼女らの叩く洗濯棒の音を聞いてみましょう。
 、無邪気に裸で泳いでいる子供達の姿を追いながら、はるか300年前?(日本だと安土桃山か?)の明から清の時代の古い中国の景色を、アナタが感じることが出来ます。きっと、とても貴重な視覚体験をすると思いますよ。》
・・・・・・・・・・・・・ぼくはじっと目を閉じて頭の中に浮かぶはるか昔を想像していた。パタパタと叩く洗濯の音、はしゃぎまわる子供達の歓声が今聞いている耳から、頭の中の想像のシーンの中のぼくの耳に、重なっていった。
 6人のグループはそれは賑やかなものだった。
 一緒の食事はまるで家族旅行の雰囲気そのものになっていた。書き出したらきりがないほど愉しいシーンの連続だった。

 小燕を連れて来たのは正解だった。主役はぼくであったり、17歳のコギャルだったり、それぞれの行動、買ったみやげの批評から、誰かが買い物をすると、あとの5人が側にいてなんやかんやと雑音をいれるやら、そのうち、ぼくにはヨシ、ヨシというあだ名がついてしまった。
 ぼくが無意識によーし、よーしと気合みたいな声をよく出すからなのか
 よく分からないけど。

 バスの中では一緒に歌を合唱したり、とうとう
 「ヨシ、ヨシ ひとつ日本の歌を披露してくれ。」と自分でさくら、さくらを口ずさみながらぼくを促す。そして、周りは拍手、拍手である。
 いろいろな質問も飛んで来る。
 「こないだ日本映画観てたらメシメシといってた、あれどういう意味か」
  「たぶんご飯(
ミーファンダイース)のことだろう」と答えておいた。

 雨の上るのを待つ。そして、登り始める仲間

二日目に行った滝:上り口で昼飯を食べた。ものすごい大雨が降っててとても滝口まで行くことが出来ないと、ガイドの小李が言う。確かに沢山の観光客がここでトランプやマージャンをして時間つぶししている。雨が上がるのを待っているのか。

 「雨の中でも,もし行きたければ連れて行く」と運転手の王さんは言う。
 「アタシイキタイナ。」
 と小燕がぼくの顔を窺がう、ぼくは雨が大嫌いである。あのピチョピチョと顔や体に滴れ落ちるのが我慢ならない。手だって濡れるのが嫌いだから。あの中国製の薄い5元の雨合羽は二枚重ねてもどこからか、ほとんどは首からだけど入ってくる。

 「ネエ イコウ イコウ 」小燕はぼくの顔を見て促す。
 「ティンブドン」(
聞こえませんネ)と答えたら膨れてしまった。
そうこうしているうちに奇跡的にも雨が上がったのだ。

靴を藁ぞうりに履き替え〈2元)雨合羽を被り我がにわか家族の滝見行列が始まった。
 あの道中の数時間〈2時間?)の出来事、別に特別なこともないただの行軍だったけど今思い出しても鮮明な映像で浮かんでくる愉しい時だった。
鳳凰でのかずかずの行動は今回のぼくの旅のなかでは何か特別なページのように思えた。
旅はやはり、独りよりも友といろいろを分かちあいながらの方がいいのかなと思ったりする。声を出さない独り笑いは確かにさびしいですネ。

次は貴陽へ行きました。

何度聞いても覚えない駅です。
鳳凰大橋の上から虹橋方面を写す。
鳳凰大橋の上から虹橋方面を写す。
鳳凰大橋の上から北門城楼を写す。
大樹客庄から下の川で洗濯。
鳳凰大橋の上から民家をズームで
泊った民宿風ホテル?洗面所には
タオルも歯ブラシも無ければ石鹸もなし。
南方長城
南方長城の前の小姐はニセモノ、仲間の
17歳コギャル。借物で5元とのこと。
南方長城には登りませんでした。
map
黄絹橋古城の長さはこの城が完成した年
と同じ686年の686mだとガイドの説明があった。
黄絹橋古城
黄絹橋古城の入口家の道に昼寝している豚。
焚き火の前の席で熱かった。
滝に行く途中、景色がよかった。
雨の後で滝の水量も多くピャオリャン
稲を見ると日本の田舎風景とダブル。
でも、遠くの山の景色は日本より険しい。
どちらもいいですね。
運転手の王さんと。
これがワラジです。親指が痛いのです。
全写真拡大出来ます。