旅の方法にもにもいろいろなかたちがありますね。
 すべてお任せの団体ツアーから全くのひとり旅まで、そして、その中間も含めると、いろんなパターンに分けられます。 

 ツアー旅行を重ねていると、何故か?自分がかごの中に入れられたままの旅をしているような気がします。もうちょっと籠からはみだしてみたい。 そんな思いがつのります。
 折角、ここまで来ているのだから、すぐ傍にある、あそこにも行きたい。
もう一日,此処に滞在できればナァ。・・・・・もう、いろいろな思いや、願いがつのるのが団体旅行への不満です。

 でも、どうすれば自分の希望の旅が実現出来るのか?
 言葉の障害、プランの建て方、そのプランを現地のどこにお願いすれば安心なのか?現地でのこまかいコース設定の際の意思の疎通の解決は、最小の経費でまあまあの快適な旅を実現させるには?・・・・・・・・・と、考えると、あまりのクリアすべき問題の多さに、結局は断念。夢で終わってしまいます。
 最小単位一人ないし二人
(が経費上は最高。4割は安い経費ですむ)での旅をしたい。

 つまり、結論としては、
時間をかけて
(というより時間に追っかけられず)の気儘な旅。行きたい所を自由に選べる旅、ほどほどの予算と、まあまあの環境でのゆとり旅。

 ぼくの今回の『ぶらり旅』は上のすべてをクリアしながら、尚且つ無駄骨はしない、極端なハプニングはない、敷かれたレールの上を自分で走る旅、といったらお分かり戴けるでしょうか?
レールとは?立てて貰ったコースのことで、交通手段とダオャン(道案内役)は事前に設定してもらう。
 それらがオート走行だとしたら、いつでもマニアル走行に可能な限りチェンジ出きる。

 まあ、なんとも訳の分らない説明で申し訳ありませんね。
 参考として、ぼくが
中原(鄭州〜西安)への旅で湖南華天旅行社に敷いてもらったレール表を紹介してぼくの旅の日記を見て頂いたら、そんな思いで書いて見ました。
                   
      
行程安拝

4月 3日         岳陽
4月 4日         洞庭湖
4月9日から11日    張家界
4月21日         株洲
4月24日         南岳衝山
5月1日から5日     杭州・紹興・寧波・普陀山
5月8日から12日    峨眉山・楽山・九寨溝・黄龍

        
鄭州、洛陽、蘭州、西寧,青海湖、西安。
5月16日  第一天   ・・・・・・・・・・ 長沙/鄭州火車k2154(17:10/6:30)  .宿火車
5月17日  第ニ天   遊覧黄河(25)河南博物館(20)(含住房,小車)     宿鄭州
5月18日  第三天   鄭州・小林寺・洛陽・(40)白馬寺(30)
                   中嶽廟(25)            (含住房,小車)  宿洛陽
5月19日  第四天   遊覧竜門石窟(60) 関林(25)   (含住房,小車)   宿洛陽
5月20日  第五天   洛陽/鄭州、後乗k2009次(14:20/06:45)       宿火車
                (含小車)              蘭州司机:130458754678  
5月21日  第六天  遊覧黄河水車、白塔山、後乗T655次(15:15/18:35)
               赴西寧        (含計程車)                宿西寧
                                      西寧司机:13086259678
5月22日  第七天 高原青海湖鳥島一日旅、 
                (含住房,大車、導遊、門票)                 宿西寧
5月23日  第八天  西安HU207(18:10/19:20)・・・・・・・・・・・          宿西安
5月24日  第九天  以下省略
5月25日  第十天
5月26日  第十一天            祝有一段愉快的旅程!


5月28日〜30日   鳳凰
6月1日〜4日     貴陽
6月5日〜6日     ジョウ州
6月8日         朱家角  

     
全旅行日数・・・・・・・37日間でした。
                             
 2004年6月26日   大石ケイジ。





    そして、旅のおわりに・・・     2004・9・10

    ケイジの日本語教師奮闘記

2001年のWTOへの加盟により益々、世界経済のトップへの道をひた走る中国。

 自動車国内販売台数439万台はアメリカ、日本に次ぎ現在世界第三位。来年には600万台に達し日本に並ぶといわれている。
 4年後の北京オリンピック、その2年後には上海世界万国博が開かれる。

 全世界の脚光を一身に集める中国。その一方では市場経済の歪とも言うべき都市と農村との貧富の差の拡大。共産党一党支配による政治不信。麻薬の密売、SARS等の社会問題。
 サッカーの国際大会に於ける日本パッシングのようなグローバル感覚の欠如など、現代中国の抱える光と影を自分の目で確かめてみたく現地へ飛んだ。

 行く前は「そげん、中国のどこがよかけ?」、帰ってからは「中国はいけんやったか?」と、いかにも広大な中国大陸にふさわしい、漠然とした質問が友人達から飛ぶ。その度に僕はリハビリ中の麻痺患者のように一瞬コトバにつまった。

・・初めて体験した日本語学校での授業風景が鮮明に頭をよぎる。僕の教室はいつも賑やかだった。真っ赤なりんご顔の陳姐チャンの大きな声「センセーイ、声ガ ヨク 聞こえマセーンョ!」。

四川省の呉琳さんは「センセーイ!浄土ってどういう意味ですか?ゼンゼンワカリマセーン」。岳陽から来た王俊クンの口癖は「キョノ授業、雑談 イイデスカ?」。その度に教室中がどっと沸く。

日本語で冗談を言うのが楽しいらしい。だから僕の授業は日中入り混じりの漫才状態だ。《日本人が日本語で話をする》それが僕の役目らしく、出来るだけ僕の口からは中国語が出ない方が望ましいんだという。「それじゃ中国に会話の勉強しに来た意味がないじゃんか?」思わずもれる僕のぼやき。
 

授業の話がも少し続く。もとより僕はにわか教師だから日本語の文法についてはである。でも生徒がヘンな日本語をしゃべるとすぐに分かる。

 しかし、ここで教えている日本語教材をみると、日本人ならごく普通に使っている日本語を2つあげて、「どちらの遣い方が正しいですか?」と問う。

教師用虎の巻には文法上の違いが理路整然と書いてあり、それを学生達はしっかり勉強している。 尤も、それを覚えなければ日本語検定試験に合格しなのだから皆必死なのだ。今日も
1人の生徒が質問してきた。

「先生!《学校に行か(ないで、なくて)映画見に行くつもりです。》どっち正しいですか?教えて下さい。」僕は数回、口の中で反芻しているうちに分からなくなってしまい 「こんな場合、日本では“学校に行かずに映画にいくつもりです”と言います。」と答えてしまった。するとすかさず「《行かず》という言葉は書き言葉じゃないんですか?」ときた。

 そんな区別なんか僕が知るかい、と開き直りたくなったけど、グッとこらえて 「でも僕らは普通に使いますよ」とひきつった笑顔で逃げた。口の中で模擬会話をしてるうちに自信がなくなってきた。「書き言葉、話し言葉なんて区別、普通しないもんネ」コレ、つぶやき。

いつかもこんな質問があった。「この時と、あの時その時の使い分けがよく分かりません」という。「この」は現在で「あの」は両者が共有した過去というのはわかるけど《その時》は説明出来なかった。僕の好きな番組、NHKTV「そのとき歴史が動いた」司会の松平アナの顔が浮かんだり消えたりするのだった。

 中国の学生は実に勤勉だ。将来への目標もしっかり持っている。彼等の就職先へ提出する履歴書を見て驚いた。5センチ四方位の枡のなかに原稿用紙2枚分ほどの文字がびっしりと書かれている。すべての空白が小さな文字で埋まる。こりゃ、読む方が大変だ、と思ってしまう。

 
ひきかえ、日本の若者事情はかというと、若年無業者、つまり卒業した後、進学も、求職活動も、結婚もしない若者が52万人、企業に縛られないアルバイト・フリーターが217万人で前年比8万人増しだと新聞に出ていた。これでは日本の将来は一体どうなる?と暗澹たる気持ちになる。

「中国は方言がウェ(多い)たちご(のじゃないの)?」も多い質問である。

 方言とは別な答えになるが湖南人はの区別が出来ない人が多い。「いろいろ」を「いのいの」と言い「犬」を「いる」と発音する。ペットショップの前で趙麗さんが叫んだ!

「アイヤ!センセー、アソコ イノイノナ イルが イヌ ナ」(わぁー!先生、いろいろな犬がいますね)本人は真面目に発音してるのです。
 《お母さんは
知らないんじゃないの?》と言わしてみたかったけどやめた。

いろいろな場面が頭をよぎる。青海湖の大草原に群れる羊や毛牛を眺めている自分。水平線に沈む真っ赤な太陽を車中からぼんやり眺めている自分。うんざりするほどのお寺をたずね。霊山,奇山、名山に登り。河川、湖、滝をめぐる。たった一日限りの、数え切れない中国人仲間たちの笑顔が浮かぶ。それぞれの項目が僕のセルにはあふれんばかりに詰まっている。

「ところで、食事はいけんやった?中華ばっかいけ?」

やっと出た具体的な質問にぼくのセル(頭の中にある思い出の引出しのこと)が開く。質問者の好奇心を埋めるべく回答を探す。準備しているキーワードの中から《辛い・・とりわけ湖南料理の辛さは中国一》が抽出される。「昼は近くにある食堂に行って炒飯かラーメンを食べます。値段は5元〔70円〕ぐらいかな。」「時には近所の銀行や商社の社員食堂で辛い定食を食べます」

日本で食べない食材に蛙、亀、ヘビなどがある。特に蛙はポピュラーな食材でスーパーの海鮮売り場のガラスケースの中の人気者だ。亀(ウグィ)も水槽に中でごそごそしている。買い物に付いて来た子供が亀の頭を突いて遊ぶ。

ところで蛙(チンワ)は政府の保護動物とかで本当は食べてはいけないらしいが飲酒運転や交通違反と同じで、決まりや規則は守る方が本当に珍しい国なのである。なのに街中にはパトカーがうじゃうじゃといる。「何してるんだろう?」公安は?

日本の魚屋には採れたて、切り身、冷凍、どれも活魚じゃないけど、中国の海鮮売場では魚は水槽で泳いでいる。もちろん海鮮といっても日本でいう海で獲れる魚と同じではない。川魚だろうと池のタニシだろうと魚介類は全て海鮮なのだ。中華料理には刺身も無ければ焼き魚もない。食事の時、自分の前に取り皿や薬味を入れる小皿がないのは淋しいかぎりである。

また、中国人は食事中にはあまり水分を取らない。僕は茶水代わりにいつもビールを飲んでいた。飲まないと料理が辛すぎて食べられないからだ。 ぬるいビールが4元ぐらいだから水と思えばよい。冷えたビールを飲みたい時は給仕にビンダ!(氷的)と付け加えなければならない。でも、返って来る答えはいつもメイヨ〔ありません〕である。冷たいものだ。この「没有」と言う中国語は会話の常用語なのだ。いろいろなシチュエーションでメイヨー(ないよ!)は多用される。

日本だとこういう場合、たとえ無くても断定的に「無い」とは言わない。かならず親切の尾びれがつく。よく、中国人はおせっかいで親切というが、あれは好奇心から来るもので実際はそうでもない。公共心とか寛容とかいうものは持ち合わせていないようだ。まさに自己中心といえる。だから先日の愛国心の塊のようなサッカーの応援は不思議な気がした。

ある日、機嫌がよかったのか「没有」のあと「冷やしたビールはないけど、氷ならあるヨ。」と食堂の小姐が言った。「オウ!謝謝!! オンザロック ビジョーイイネ 」と大きな氷をいっぱい入れてもらい飲んだのはよかったけど、その夜は五分置きのトイレ通いで散々な目にあった。水道水で作った氷だったのだ。

中国人は遊び好きが多い。娯楽の世界でも発展はめざましく長沙市にも酒バーやカラオケなどに加えこの頃は超大型温泉センターが増えてきた。習慣なのか彼らは浴場を歩く時全くすっぽんぽんである。日本人はタオルをそえる習慣があるが彼らにはない。羞恥心と関係があるのかと思い、「女性も一緒ですか?」と発展的女子学生の袁静に訊いてみた。「行ったことがない」プイと横を向かれた。多分スケベな日本人と思ったことだろう。シマッタ!

 そうそう
ホテルで困ったことがあった。
 
蘭州のホテルの部屋で用を足して、サテ、紙は何処かな?と探すけど見つからない。 なんと、便座の真後ろにあるではないですか。これにはビックリしたナ。
 「いったいどうやって紙をちぎるんだろう?」僕の左腕は五十肩真っ只中。
 片手では絶対切れない事を初めて知った。是非、試一試?(シーイシー)
  

「イッバン(一番)心に残った風景は・・?」鳳凰(ホンファン)という古い(300年前の)街で見た風景だった。僕のHPの永遠の鳳凰(ほんふぁん)、より。
・画帳をひらくと一条の河流が古い城をたずさえて真正面から顔に当たってくる。横からみると一幅の絵に見える。縦から観ると詩一首に見える。・・・鳳凰大橋から虹橋を臨む景色を言葉で表現するのは難しい。

 見る人、それぞれの感性にかかっているからだろう。僕に鳳凰行を薦めてくれた多くの友人がその理由を言わなかった訳が橋に立って初めて分かった。とてつもなく巨大なセットの前に自分がいるような錯覚。

 時が一瞬とまる。目の奥に浮かぶ見たこともない筈の遠い支那の田舎の街並が現れる。そこへタイムスリップして幻覚体験をしている自分。・・じっと目を閉じると岸辺でパタパタと衣服を叩く洗濯棒の音、談笑している女たち声。裸で水遊びをしている子供達の歓声が頭の中の幻想世界に取り込まれていく。

 現実に戻った僕も友人達に言いたい「上手く言えないけど、一度、鳳凰に行ってみませんか?」僕に鳳凰を教えた友人たちと同じように・・・。

まだまだあるセルの中、一番「怖かったこと」「惜しかったこと」「恥ずかしかったこと」「パニックになったこと」そして「誰にも言えない秘密のこと」など目白押しだが紙面がない。ところで皆さんも自分だけのセル作りに励んでいますか?僕は、とりあえずの賞味期限をあと五年に設定しました。五年は微妙な数字だと思いませんか?未だ、少しはのようでもあり、いやいや,すぐそこのような気もします。五年前を振り返れば昨日のよう!!が実感だったりして。

(PS)勝手ながら僕の五年は毎年更新されます。

本当の最後に一言。こちらに来ていつも胸が痛むのが物乞いの子供たちの多いことだ。街の中、地下鉄の車内、公園と、どの都市に行ってもやたら目に付く光景である。歩く事の出来ない奇形児らを正視する勇気は僕にはない。

 食事中に、そっと擦り寄ってくる乞食の子供なら、せめて一角の小銭でもあげるけど、地べたに身を投げ出している不具な子供を見かけると横を向いたまま足早に過ぎるしか術がない。

 繁栄への道をひた走る大中国のまず一番にしなければならないこと、それはこんなことからからではないだろうか?
                                 再見。

旅のはじめに