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八期老同学東京徘徊記3
7月12日の八期同窓会のあと、いろいろなことがあって過去と未来が混ぜんとしている。現在位置の狂ってしまったカーナビを眺めているようで、過去にあったことと、今から予定していることがごちゃごちゃになっているのが現状だ。 過去の整理のために今しなければいけないこと、1ヶ月先、2ヶ月先のために今しなければいけないこと、それらの判断が一瞬、白紙状態になる。
 24日は満留紀弘・和子(小山田)ご夫妻が主宰する

 第十四回みんよう九州人会
 ふるさと祭り 鹿児島大会   県文化センター


 を観に行ってきた。日曜の昼とのことで、なかなか暇が作れず4時にご夫妻と約束して早速、楽屋(正確には本部席)に出かけた。
 あまり民謡は苦手で、お二人への激励、お祝いをかねての見学だったが一時間ぐらい彼らとお喋りをしたり、たまたま訪ねて来た他の訪問者と顔見知りで、また30分ぐらいそこで雑談のあと、「どれ、一、二曲聴いてみるか」と思って、空席の目立つ客席に座った。 
 ところが、一,二曲聴いてるうちになんとなく居心地というか、ステージの雰囲気に魅入ってしまった。
 魅入るほどのステージかというとそうでもない。三味線、笛など3〜4名程の伴奏者に主役の唄い手がひとり。ときには後ろにコーラス?というのか?囃子があるぐらいの構成であった。
 なぜ?魅入ってしまったかというと、あの独特の声だろう。 
テレビなどでときどき聞くというより、ついでに耳にはいることはあったが、こうして実際聴いてみると民謡もなかなかいいものである。
12時開演の午後6時閉演予定がずい分進行が遅れていると、ご夫妻が話していたので、きっと進行を早めているのがかえってテンポがよく、なかなか席をたてなくなってしまった。
 初めての経験だった。民謡フアンになりそうだ。


 

今、僕のところには今年の「八期通信」用の原稿がつぎつぎと送られてきている。この様子だと発行が早まりそうである。

今日も東 佐津子さん(どちらかの教師をされていたそうだがトテモそうは見えない。単に、同級生の東 佐津子さん以外の何者でもない。こう書いていて、彼女に失礼だとも何とも思わないのが同級生の良さなのだろう。)

彼女の原稿も面白かった。新聞発表前に文明機器を操作できるIC仲間にだけ、先に公開することにしましょう。

   ディズニーシーでの一日。
                      東 佐津子
 
 まるで小学生の遠足のように前夜は眠れず(原文は寝れず)一睡もしないまま乗物を乗り継ぎディズニーシーへ着いた
。なぜか入場券が一枚足りずになかなか入場出来なかったが瑞代さんの忍耐強い対応でやっと入場できた。

ここで夜のショーまで過ごすと聞いて、これは苦行だ、無事、起きておれるか心配だったが、折角だから楽しむことに決めた。今になってこの一日を書くことになろうとは夢にも思わないから、何処で何を見たのか順不同、支離滅裂だ。

 ただ、皆の後をぞろぞろついて行けばよかったから。これがまた、とっても心地よかった。
 ディズニーシーを一言でいえば、「スリルとファンタジーの世界」だが、これだけでは頭から湯気が立ちのぼる浜崎さんの姿が見えるような気がするので印象に残った二つ三つを思い出してみよう。

 インディジョーンズの世界を体験する乗物はおもしろかった。安全装置でしっかり身体を固定し、猛スピードで怪しげな怪獣がうごめく中を突っ走る、突然直角にカーブ、「キャーツ」と
声が出ないのは失神した人とは限らないが、あっ!と言う間に終わって外に出ると、どこで、いつの間に撮ったのか、いろんな表情の写真が壁に貼ってある。

 よかったら記念に一枚買おうと思って自分たちの写真を見るとギョッ!!ものすごい形相の面々がにぎりん棒にしがみついてるではないか?

 これはどう見てもカメラが壊れたせいとしか思えない。
 幸い私は、横を向いていて前の男性に顔の大部分が隠されて難を逃れた。  ホッとした。  ・・誰ひとり写真は買わなかった。    よほどショックが大きかったのか、その後もその写真の話は誰の口からも出なかった。

ショーで素敵だったのは人形姫物語だった。美しい白人女性が虹のように美しく輝く尾びれというか、下半身をまとって宙吊りで終始笑みをうかべて前転、後転しながら優雅に(原文では幽・・・確かにこの字の方がいい)舞っている。その周りをディフォルメした水中動物たち(これも確かにその通り、でも言葉としてあるかどうか?)が舞っていたが私は人形姫ばかりに見とれていた。ストリーはないが、長時間、宙吊りのままでは痛くないのかナァと思っているうちに終わった。

昼食はメキシコレストランでタコスを食べたが、これはまずかった。
 宇宙旅行体験や水上でコーヒーカップのようにクルクル回る乗物にも乗った。ショーでは「あそこが一番良かった」と、勧めてくれた、ものすごく大きな芝居小屋のような建物の前で、待ちに待ってやっと入ると、
 高い天井から、長いボロ切れが、ジャイアントケルプのようなものが、いっぱいぶら下がっている。そのケルプが上がっていよいよショーの始まり。  ここでも宙吊りの妖精らしきものが舞っている。 私はホッとしてすぐに寝入った。
ふと目を覚ますと、ものすごい音楽の中、ステージは噴水のように水があふれている。「あの後始末はどうするのかな?」と思っているうちに、また寝入ってしまった。

 ・・・一体、このショーは何だったのだろう??
       誰か教えてちょうだい。!!・・・・・


ディズニーシーのシンボルは、頂上から煙や火を噴いている、ものすごく大きな人工の火山だ。
 頂上近くからほとんど落ちるようにすべり下る乗物があるが誰も乗ろうとはしない。

私も怖さと乗りたさ半々で諦めかけていたら大隈さんが「乗りたいなぁ」というので、すかさず私も「乗ろうか!」ということになった。
 この乗物のハイライトは二つ。まず、真っ暗闇の中を猛スピードで走る瞬間!絶対、安全で次があると思うから手に汗ぐらいで終わったが、日常でこんな日に出あったら生きた心地はしないだろう。
 パッと明るくなったと思ったら真下に落ちた。
       あ〜〜〜っ!
  このくらい。予想よりずーつと短時間だった。

昼よりいくらかましな夕食後、大きな池(人工の入り江かもしれない)の周りに陣取った。
 大勢の人が辛抱強く待っている。
 はなやかな音楽と共に、タクトを振る大きなミッキーが乗った円形のステージがせり上がる。
 まわりは色とりどりの噴水や水中花火が音楽に合わせて変化する。 四方からものすごく強烈な光が照らす夢の世界の出現だ。

 アァ あの情景を下手な文でゴテゴテ述べるのは愚の骨頂。 ・・・見た人は静かに思い出し、 
  ・・・行かなかった人は是非行ってごらんなさい。

 たくさんの人々を楽しませるため、すばらしいアイディアと技術とお金がかかっているのだろう。

 でも私にとっていちばんファンタスティックだったことは、随分久しぶりに会った友達、中には卒業以来はじめての友達とずっといっしょだったこと。

 生きてればこんな日もあるんだと思うと一人一人がいとおしくて抱きしめたい気持ちだった。

 こんなすてきな一日を計画してくださった浜崎さん,大石さん 瑞代さん、磨子ちゃんはじめ協力して下さった皆様どうもありがとう。  心から感謝します。 

・・・・このあと会長への恋文が続きます。   大石

前略
 会長殿へ
 その折はいろいろと有難うございました。
 写真も送って下さったりして。
 またこの度は夏休みの課題まで下さって・・・・ 
なみだがチョチョぎれるくらいです。
 心ばかりのお礼に誤字脱字訂正、添削の仕事をさしあげます。かってになさってください。
        
                   東 佐津子




まだまだ書きたいことがあります。徘徊記もバスツアー編の浅草編・江戸博物館・それから海洋博物館の北朝鮮工作船見学・お台場のフジテレビ見学そして空港へ。・・・・とそれぞれに楽しいエピソードを残して私たちの45年目の同窓徘徊記は続きました。その辺の話は次回、皆と会ったときの話題に残しておきたくなりました。

 「八期通信」の後記に書こうかなと思っていることを最後に
僕の東京老同志徘徊記をひとまず〆ようと思います。
いくつかの記載残しの写真も右に掲載しておきます。


   編集後記準備原稿
                     おおいしけいじ


▼同じような意味だけど、いざ使う時になると「さて、どっちにしようかナ?」と一瞬迷ってしまう言葉というものがある。

 たとえば「会いたい」にしょうかそれとも「逢いたい」と書こうか、書く相手に対する自分の心の思いの程度を垣間見る思いがする。しのび逢いに会いは似合わない。

 「聞く」と「聴く」の場合も、自然に聞こえてくるのは「聞く」で自分の意思できくのは「聴く」と自分なりには決めているものの、じゃあ「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」の場合は「どうなるの?」と言われると迷ってしまう。

▼でも一番迷うのは、僕の場合「」と「思」の使い分けである。自分なりの基準で動詞のときは「思う」を、名詞のときは「想い」を使うことにしているが、それでも「思い出」にするか、この場合は「想い出」がいいなぁ〜、とか、一瞬、指が止まることがしばしばである。中国では「想」という字を希望や願いを表す動詞として、とてもよく使う。

 「我想(ウォ シァン)は、〜〜したいと思うんだけど、という意味で「想一想(シァン イー シァン)はちょっと考えてみょうという意味になる。
 僕としては「」はやはり、過去を思い出すじゃあないのかナと言いたくなる。

 ▼さて、今年の夏、正確には7月12日の東京八期会は45年振りの喪失した「思い出さがし」の催しだった。参加した66名の八期生の間で、また新たな「思い出」が創出された。

 ▼人の世は無常なるもの。いづれは人偏のついた偲ぶになり、やがて「回想される側」になる日が必ずおとづれる。

 陰なる物の前で、我が子や孫から手を合わされることは多かろうが陽の場で、多くの思い出シーンを回想され、時には笑われ、肴にされ、また、時としては涙される。そんな付き合いが出来るのは「思い出話」が大好きな八期会だけかも知れない。

 ▼これからも、合う度ごとに、男女交えての八期仲間が新たな思い出をどんどん創り出していくことだろう。

 なんだか賞味期限もどんどん先へ延びていきそうだ。「回想シーンの主役」になるのは「オヤ、ごめんやっでナ。」そんな声があちこちで聞こえてきそうだ。

                               おわり
私のディズニーシーでの一日。 東 佐津子
右が私、東です。
シーのシンボル・徘徊の始まり。
インディジョーンズの世界
人形姫と水中動物たち
夢の中の私
あ〜〜っ!はここ。
お台場の風景
北の工作船
クイズ?この場所は?この人は?一体誰でしょう?