二年目の日本語教師奮闘記
我是日文老師叫村上久幸

中国一人体験記

3/14
(金)成田(13:30発)―大連経由北京(18:30着)の往復オープンチッケットが格安(3万5千円)で手に入ったので、これを利用した。・・・ところが大変・・・4/1から中国北方航空と南方航空が合併する前の月なので、大変な目にあいそうになる。   チケットは成田―大連(北方航空)大連―北京(南方航空)でした。国内便に乗換えの時、搭乗券をもらい、50元の空港税を買い案内の8番ゲートに行き、待っていたのだが中国語と英語の案内で3番ゲートに変更の知らせが有ったのを全く聞き漏らし、雰囲気が閑散としてきたので再確認したら、変更とのこと、あわてて3番ゲートに行くとコンピューターの故障で何時出発かわからないとのこと「ちょっと、待って下さい。」の一言だけ、変更表示などのインフォメーションは一切無し。外を見ると待機の飛行機は胴体に「北方航空」とあったので、又又、確認。「南方」を使わないことになったとのこと。

       そこで学んだことは

@    搭乗券の「搭乗口番号」を信じるな!
A 搭乗口到着時確認→30分前確認→15分前確認
B   出発時間の遅れは常識・・・出発時間が過ぎてもこまめな確認が必要!時間間際までのぶらぶら歩きは禁物!

北京に着いたのが、1時間遅れ、出迎えの人は出口で見つからず、携帯電話の番号が私に知らされているので、飛行機は何時に着くかわからないし・・・と、のん気に駐車場で一服、「人の心配どこ吹く風」といった感じ! 日本で購入した国際携帯電話を始めて使ってみたが「つながらず」、こりゃ大変!公衆電話のコインも無く、100元のテレカを買い、やっと連絡が取れた。言葉が流暢なら「なにやってんだ!」と一発怒鳴りたいがそれも出来ず、連絡が取れて「一安心」やれやれ!てな感じ。費用は先方持ちの安宿(招待所)に一泊する。

3/15(土)
去年使った4階の部屋は、きれいに掃除して帰ったので今年も同じ部屋を用意してくれると思っていたら、その部屋は韓国からの先生に先を越され、2階の部屋へ案内された。部屋のタイプは全く同じだが、部屋の汚さには「驚き!」、二人の先生(英語とロシア語)に手伝ってもらって半日がかりでやっと人の住める状態になった。「きれいに清掃して待つ。」のが日本の常識だが、中国の田舎の舎監さん達は、「気配りゼロ。」    アメリカの若い男の先生が昨年使い、数ヶ月ほったらかしのまま・・・という状態。 昨年は新築だったので問題は無かったのだが・・・・初日から悲惨!

学校は日曜・月曜二日間、試験ということで、先生がたも大忙しということらしい、日本語授業の打合せは、火曜日になりそう・・・?私も、明日は日用品の買物をしたり、知人への挨拶などあるので、こちらも「てげてげ感覚」であさってになったら再確認・・てな具合で・・・。


3/16(日)
去年買った自転車は気が利いて、用意されていたのだが・・・・・

やっぱり・・・空気は空っぽ!   校門の前で自転車の露天商が9時に来るというので、買物に出かけたのが9時半。
    校医にニコンの一眼レフカメラを買って来て欲しいとメールでたのまれていたので、彼に渡した。日本のサトーカメラで6万円の品物が、中国だと10万円ぐらいとのこと。一ヶ月の給料分違うので・・・大きい。

    去年時々血圧を測ってもらっていたので、お礼にと正式な「血圧計」をプレゼントされた。心音を聞きながらメーターの動きを見て測るので、人にやってもらわないと出来なそう。彼は自分で出来ると言っているが、不器用と鈍感が自慢の私に・・とてもとても・・・・

今年の9月に結婚の予定なのに・・・無理して・・・と思ったが、感謝して受取った。   昨日掃除を手伝ったフォン先生(22才・英語)が夕方訪ねて来て、日本語を勉強したいので、授業を1年生と一緒に受けるとのこと、時々部屋に訪ねて来るのでよろしくとのこと、
「若い女性の先生」なので大歓迎の意を表し、私は日本語を、あなたは中国語を教えて下さいと、毎日でもOKと握手した。


3/17(月)
校長先生に挨拶に来て、昼食を招待するとのこと。8人の先生達と一緒に会食、私の授業は担当教師と打合せして、明日より始めて欲しいとのこと。ファン先生(英語教師)が夕方訪ねて来て3時間おしゃべりをする。 彼は学校敷地内の独身寮に住んでいて、夜はヒマを持て余している様子、中国語を覚えるには絶好の相手・・・ラッキィー!!独身寮は空調設備は無く、極寒(−15度)の冬と真夏(45度)は大変だと思うが、彼はシン台市以外に出たことがないので・・・我慢できるのか・・・去年独身寮にいた先生は、がむしゃらに勉強して、北京の大学院に行っている。・・・彼は独身寮のことを「ブタ小屋」と言っていた。

3/18(火)
授業は、中学1年生に、初級日本語を教えるという内容。

火曜班と木曜班とあり、それぞれが20名前後、18:30〜19:30去年より30分短い授業でよいとのこと。5ケ月ほどキャノンを退職した人に日本語を教えてもらっていたので、5人ぐらいは真面目に勉強している感じ、10人ぐらいは、筆記用具・ノート・教科書無し先が思いやられる。貧しい子もいる様子なので、PCに教科書を入力しプリントアウトしてもらい、やろうと思う。マイクロソフトのワードを使い用意すると、インターネットで資料室のPCに吸い上げ、プリン出来るので、大助かり。“あいうえお”の替え歌を教えて先ずは、楽しい雰囲気づくり、全員の名前と好きな物(事)を携帯のパソコンに生徒自身で入力させた。皆PC教育を受けているので、ゲーム感覚で楽しそうに入力した。

3/19(水)
三日前に「インターネット」が私の部屋で出来るようにして欲しいと頼んだら、快諾してくれた。PC担当の黄先生が授業の合間に、来てくれて、三日がかりでやっと「開通」! 思わず彼の手を取り「非常感謝!」「非常感謝!」字は同じ、発音は「フェイチャン、ガンシエ!」フェイチャン、ガンシエ!」。

3/20(木)
今日は「木曜班」の授業、火曜班と大体同じ感じ。

  両班とも、元気はつらつ、ユーモアも有り、彼らと交流できる環境に  「感謝!」18日ごろから、イラク関連、新中国の全国大会の様子など報じられているが、胡主席や温首相の演説を聞いて(ほとんど理解できないが・・・)、うまく表現できないが、日本の「軽さ」中国の「重さ」を感じる。いろんな観点から、「世界平和と世界協調・共栄」のため「日中友好」のため力を発揮してくれることを願うのみ。

3月24日(月曜日)

河北省の首都は石家庄(シジャチュアン)シン
台より   100キロ北にある。長野市と姉妹都市交流をしており
、毎年留学生を   受入れている。ちなみに、栃木県は折江省(チ
ェチアンシェン)と交流しており、毎年、国際交流課に一人、10ケ
月の研修員を県の各機関で約6人、折江省の政府機関(お役所)より
受入れている。
受入れ先は、農業試験場、水産試験場、森林センター
、図書館などである。
私費留学生は多く、宇都宮大学、那須大学、な
ど150人前後の中国人がバイトをしながら、頑張っている。

わたしの待遇は、旅費・食費・通信費は自分持ち、家賃・高熱費は免
部屋は、バス・トイレ・ダイニング付、料理セット、電子レンジ、
洗濯機、ダブルベッドに、両袖のデスクと気軽にTVを見ながら、中国
語の勉強の出来る環境にある。給料は1800元(舎監の給料の倍)
もらえ、食費は餃子1元(約15円)、10ケ、まんとう(1元)6
ケと物価が、ラーメン2元、羊肉のシャブシャブ一人前15元と安い
ので、贅沢しなければ十分おつりが来るぐらいである。その上、生き
た中国語を勉強出来るし、最高! ただし、5階建ての学生宿舎は、
各階鉄格子で仕切られ、決まった時間以外は、各階ごとにロックされ
、正門も同じ、出入りの度に、舎監に開けてもらわなければならない
、至って不便。  生徒は2段ベッドの8人部屋。自由行動が出来る
のは、昼休み(11:30〜14:00)だけ。シン台市は市街地の
人口60万人とのこと、一辺20kmの四角の中に建物や住居がある
ので、日本の30万人の市ぐらいの感じ。住居は皆5、6階建て、エ
レベーター無しである。区画整理を実施しているので、主な道路は片
側5車線(内自転車と歩道)で広い、街灯や身障者対応はまだまだ、
町の様子は毎年変わって行く感じ。薄暗くなっても車は点灯せず、自
転車は全て無灯火なのには驚く、視力がよいのか・・・?私と比べる
と暗闇になれている。
雨の少ない地方なので、「ほこりっぽい」のに
まいる。

露天商が多く不衛生な感じで商売していたり、近代的なスーパーがあ
ったっりで日本の「終戦後」と「現代」がごちゃまぜになっている感

10度以下のコートの必要な歩道の一角で、マージャンをしている様
子があちこちに見られる、寒さに強いのにも驚かされる。

   公園や道路の清掃用の三輪自転車の車体に「玉と龍」と
書いてあり、出身高校「玉竜高校」を思いだす。

4月1日;

第三中学では、米国人と英国人の先生が、今年は契約出来ず、やっと4月から、英語を話せる外国人教師の手配ができ、紹介されたのが、   ケニア人(男性)とフィリピン人(女性)。イラク戦争が影響しているのか・・・・?   独身英語教師フォンと知り合った。彼は学校敷地内の独身寮に住んでいて、日曜日は用もなさそうだったので3月30日市内の案内をたのみ、 さっそく、興味本位の体験につきあってもらった。 

  先ずは、市内で一番清潔な新しい「公衆浴場」へ・・・一応サウナーと大浴場があり、ロッカー、マッサージ有り(別料金)の、しかも24時間営業。   独身寮はシャワーもないので、彼は「公衆浴場」を利用しているが、2元、この浴場は18元。

  
 今度は、旅行社に同行してもらい、5月1日から7日まで全校休みのため、この休みを利用し、一昨年栃木県の林業センターで研修した中国人が杭州にいるので、そこへ旅行しようと思い、一等寝台上海経由の往復切符を予約した。ホテルはインターネットで割安の宿泊手配が出来るので、自分で「三ツ星」のホテルを手配してみたら、うまく予約ができた。スタンダードTWINで300元(約4500円)。後は、当日トラブルの無いことを願うのみ。


   次は、市内で一番高い料金の「足裏マッサージ店」へ。太極拳の帰りに寄る所は、10元、ここは48元、腕は大体同じだが、設備と清潔感が
他と比べると素晴らしい。

最後は、台湾料理店が経営している、「バイキング料理」といっても、日本の「朝食バイキング」という感じ、一人でも受付けてくれるので、後々のために下見がてら入ってみた。外食の度に友達をさそっていたら、けっこう高くつくので・・・・・。料金は10元均一。三中からは、自転車で30分のところだが、今度は一人で利用しようと思う。


彼は英語の見習教師の身なので給料が安い、毎日遅くまで働いて600元、私は週2回の授業で1800元、うらまれそう!ちなみに、小学校の英語の先生は給料1000元、学生寮の管理員(約10名)は400元、去年いた管理員は一人を除き全部転職したのも、なるほどこの給料じゃ・・・とうなずける。

4月4日;

毎朝5:30に出発し、自転車で30分先の「紫金公園」に通って太極拳の練習を地元の人と一緒にしているが、3月月末、“6月まで滞在するのなら、「3ケ月の入園パス」を買うと割安だよ。”と教えられ、証明書用の写真を添えて申し込み、地元の人と同じ待遇で利用している。   中国では、証明書の写真は「メガネをはずして」提出しないと無効、昨年足按摩の修了証書をもらう時に撮った写真が残っていたので、それを出して作ってもらった。
   この公園は10台の卓球台、6面のバトミントンの外、アスレチック器具が設置され、太極拳のコーナーも特別設定され、皆思い思いに、出勤前に一汗流している。   過日小学校の英語の先生が、訪ねて来て、日本語を教えて欲しいとのこと、毎週金曜日の3時ということで、1時間日本語を教え、30分中国語を教えてもらうということで、今日から始った。リさん(女性)とスーさん(男性)という。

   今日は10日、街路樹の花が咲いた、桜みたいな花だが名前不明。

   気温は7度〜20度、寒暖の差が大きい。

   中国の急性肺炎が問題になり、中国への旅行が大分中止になっているそうだが、TVでは、沈静化しつつある、旅行もOKなんて放送している、  旅行している外人観光客の放映があった。4月末に訪ねて来る予定の友達も心配しているが、ここシン台は問題ない様子・・・・?

   市内の中心にある広場は石畳と噴水のある広場で、やはり朝は、太極拳やその他の運動で人が集まってくる。7:30になると人が引け、掃除が始る。長い竹箒きで掃除している、非常にリズミカルにやっている。大理石もどきの石がきれいに敷詰められている所がピカピカになってゆく。

広場の地下は、おおきなスーパーマーケットになっている。広い中国ならではの感がする。道路も片側が2車線の車専用と2車線の自転車専用、2車線ぐらいが歩道と片側だけで6車線という大きさ、20
kuが市街地で、東西、南北に区画されている。
ごみはちらかし放題、朝暗い内から、多くの清掃員が長い竹箒きで清掃し
ている。スーパーでもどこでも、何をするにも、人手は日本の5倍〜10倍、
人件費の安い中国の一面である。

4月中旬

:市内は街路樹が多く、柳の一種「綿花粉」が雪のように舞い、油断すると口と目の中、鼻と入ってくるので「しかめっ面」で自転車をこいでいます。桐の一種の花粉は「あたかも杉花粉みたい」でこの二つが、衣類に降りかかり、部屋に入る時は、ほこりをを払う感じでパタパタやってから入る状態です。でも、周りには、花粉症もないし、肺炎もありません。

  彼らの「質素な食べ物」と「日々の運動(30分往復の自転車移動は日常茶飯事)」「早ね早起き」が抵抗力の有る体を作っているのかな・・・と感じます。  私も今は、同じ環境で過ごしているので、ややスリムになり、抵抗力のある体が自然にできています・・・が日本に帰れば・・・まわりの誘惑に負けてしまうので・・・今年こそは・・・と誘惑に負けないよう

  抵抗力のある体を持続しようと思っています。(思っているだけじゃ・ダメ)

   インターネットで申し込んだホテルの予約(3月末)ですが、北京泊の回答は3日後に来ましたが、観光名所の杭州は、部屋は押さえたが、今年の料金体制がまだ決まってないということで、4月14日やっと回答があった。北京は300元で手配できたのに、なんと同じタイプの部屋が600元、ゴールデンウィークの観光名所はやはり日本と同じ!

   市内には3mぐらいの「八重桜」が合計で200本(2ヶ所の公園と街路樹)ぐらい植えられていて満開!

   桜が散り始めると、今度は「ぼたん雪」みたいな綿花粉(柳科の木)が、町中に舞いあたかも雪が降っている感じ、同時に「杉花粉」もどき(桐科の木)の花粉が舞い、目を開けていられないぐらい、うっかりすると鼻、口へ進入してくる、自転車に乗っている人たちは皆目を細め「しかめっ面」で行き交う。

   杭州行き一等寝台の切符を頼んでいたが、上海まで手配して、上海からは長距離バスで行けば大丈夫とのこと・・・超混雑時の長距離バスは勝手のわからない私にとっては・・・全然自信がない!・・・ゴールデンウィークの旅行は中止し、6月末に変更し、今度は時間が無いので、往復とも飛行機を利用して行くことにした。

   友達と最終打合せをメールでした。4月30日、「肺炎さわぎ」を無視して、訪ねて来るとのこと。体力の疲れが一番伝染病にかかり易いので、北京到着後1泊して疲れを取り、シン台へと提案したが、「肺炎さわぎ」の有る北京には1日たりとも留まりたくないとのこと、どんなに遅くてもいいからシン台へ直行したいとのこと・・・友人の提案にしたがって予定を立てることにした。

5月26日着

四月下旬:金枝さん(72才、中国語仲間)は、韓さん(高校の英語教師、日本語を勉強中、25才、女子)の所に4泊5日する予定なので、事前打合せをした。その直後、肺炎にかかり迷惑でもかけたら大変なのでと、彼からメールで今回は取止めるという連絡がきた。兄弟親戚の反対も大きかったらしい。

ここ田舎も、政府から通達があったらしく、20日から急にさわぎはじめ、「部屋の換気」「よく食べよく寝る」「体の鍛錬」「うがい」「手洗い」など気をつけるよう、担当の先生が来て説明して行った。薬も用意し、学校も万全の対策を立てているので、安心して欲しい、ゴールデンウィークは、どこにも出かけてはダメ、去年みたいに長い休みはなくなります、詳しくは又あとでということになった。

日本がさわいでいる4月初旬は、報道さえなかった中国も、16日から連日TVで予防対策と実態を流している。全国的にゴールデンウィークの旅行は中止命令が出た様子。「世界と協調して行く方針」の中国としてはこれを機会に報道の規制もすこしづつ自由化の波にくずされてゆくので、共産党の舵取りもますます難しくなってきそうだと感じる。

 さそわれて断った5月3日の「結婚披露宴」だったが、参加することにした。お祝い金の相場は、同僚の先生が20元(約300円)、親友と校長は50元(約750円)とのこと、赤い紙に包み当日新郎に渡すのがこちらのしきたりとのこと、私は50元にしようと思う。どんな披露宴か当日が楽しみだ。

24日

外人教師(ケニア
Mr.David・フィリッピンMiss.Vangie・日本)に召集がかかり、会議室で市政府の外事担当幹部(6人)が来て、校長以下5人の先生と我々、今回の「肺炎SARS」について、対応説明があった。

中国語で話された後、英語の主任教師が英語の通訳で話してくれた。

半分ぐらいしかわからないが、予防と治療については、万全の体制で臨んでいるので安心して欲しい、しばらくどこにも行かずシン台市だけにいて欲しい。後は常識的な予防対策を自分自身で実行して欲しい、などなど。「よく食べ、十分な睡眠をとる。」「うがい・手洗いの励行」「人ごみをさける」「マスクの着用」「体調の異変はすぐ連絡」というような話・・・・・翌日部屋の消毒とビタミンC剤(2瓶)の無料提供があった。

フォン英語教師が心配して部屋を訪ねてくれた、彼女の父親は医者なので予防対策を真剣に考えてくれて、明日(土曜日)休みなので、漢方薬と消毒液とマスクを買いに案内してくれるということになった。

4月下旬:26日

、フォン先生と抵抗力をつける漢方薬とマスクを買いに、行ったが、彼女のお父さんが勤めている病院は「全て売り切れ」、大きな漢方薬の店を訪ねたが、マスクは売切れ。効くかどうかはっきりしないが、試しに63元で漢方薬の飲み薬を10日分買ってみた。

    小学校の英語の先生リさんが午後4時に訪ねてきたので、中国語を1時間半教わり、この前モン先生と一緒に食べた「なまず料理」(少数民族の経営)がおいしかったので、彼女をさそって食べに行った。

    食後、「若者達や年寄りが集まる広場」を案内してくれるというので、ついて行ったら、朝行ったことのある大理石が敷詰められた、町の中心地にある大きな広場だった。夕涼みがてら、夕食が終わると人が集まり談笑している。夏は石畳にゴザをひいて、昼寝ではなく「夕寝」をする人が多いそうだ。夜の一人歩きはしたことがなかったので、ライトアップされた

  町の夜景を見ることができラッキィーだった。ベンチに腰掛け1時間半中国語の生きた会話が練習できた。  「肺炎さわぎ」が収まったら北京も1泊2日で案内してくれるという約束を取付けたが・・・うまく中国語が通じたかどうか・・・一般的に「返事はいいが実行が伴わず」という体験を学校でしているので・・・24才の女性だし、期待半分でその日を待つことにしよう。

  タン主任(英語教師)が部屋へ訪ねて来て、明日から5/4まで休みになるが、今回の肺炎予防活動に協力して欲しいと、外出禁止を言い渡される。

  「自分で食事は作れないし、体の鍛錬も毎日やりたいし、外出を認めて欲しい。」と交渉したが5:30〜11:30は余りに長い、短ければよいとのこと、「自転車往復で1時間以上かかるし、帰りにスーパーで夕飯の買物もしたいし、7:00〜10:00を認めて欲しい。」彼女はしぶしぶ認めてくれた。

  毎日、舎監に「何時に」「どこへ」「何をしたか」を報告するよう要請された。窮屈な事態になってきたが、しばらくこの状態が続くかもしれない?

  「肺炎ヨ、早く立ち去ってクレ!」と祈るノミ。

5月上旬:

校長にダメを出され、又相談の結果、近くのスーパーの買物30分以内ということで了解を得られ、必ずマスク着用という約束をした。

  校庭で太極拳の練習を6:00からすることにしたが、早起きの生徒たちにじっと見つめられるとなんとなく気恥ずかしい思いがしてくる。

  運動は続けないと、すぐ老化してしまうので、自分に言い聞かせながら頑張りとうそうと思う。

5月中旬:以前として、軟禁状態がつづいて毎日単調な日々がつづいている。

  中国語の独学・太極拳・TV・足と手の反射区を自分で治療出来るように練習・30分の買物外出・パソコンのゲーム・昼寝・中国語の勉強、以上が毎日の行動で結構充実しているのだが、人との対話の機会が極端に少なくなったのが残念。

  家からは、婿さん(ブリジストン)はタイ出張(2週間)でいないし、帰ってこいとの電話が来たり、友達からは心配のメールが届いたりしているのだが・・・予定どおりに6月末までガンバル予定。

  シン台市は北京からの帰郷者が二人、隔離されているとのこと、学校内は

  いつものように、授業が続けられている。中国全国民が注目し用心し始めたので、かえって安心と言い聞かせているけど、学校から支給された、予防薬・マスク・体温計は予防行動として指示どおり実行している。

  何の病気でも「疲労が溜まる」と抵抗力が下がり、自然治癒力が落ち、

進入して来るので、毎日「良く食べ」「良く眠り」「運動をしっかり」を

実行すれば、安心と自分に言い聞かせながら、帰国してからもずっと続けようと思う。

12日擬似患者が一人増えた、シン台の市長以下5人が学校に来て、外人教師を激励して行った。黒塗りのホンダの新車を使っていた。

「外人教師安全管理委員会」が構成され、私の担当は韓先生(中学校の英語)とビン先生(ロシア語)になった。30分の買物もダメ、彼女たちが全て買物を代行してくれることになった。やっと情報も正しく報道されるようになった感じを受けはじめた。これを機会に中国の閉鎖性は極端に改善の方向に向きを変えて行くのではないか・・・と思う。

金枝さんと私の共通のメル友も韓先生(高校の英語),小韓と呼んで区別している。小韓にバナナとメロンを差し入れしてもらう。

最近は、買物も代行してくれるので、楽だがペースが狂ってしまう。あと一ヶ月の隔離に耐えられるか・・・ちょっと心配・・・「だが工夫して乗り切らなきゃ」と言い聞かせる。

パソコンのゲームにハマリ、体調をくずしてしまった。用心をして太極拳の早朝訓練を三日間中止した。ついつい度を越してしまった。・・・・反省!!

15日足療法の先生が、学校を訪ねて会いに来てくれた、ガードマンが電話で校長に掛け合ってくれたが、結局ダメ・・・立ち話だけ許可され、お互いつらい思いで別れる。多分あと一ヶ月以上この状態はつづくと感じられる。マイッタ!マイッタ!・・・・

心配おかけしてます。
北京のガイドのシエンさんに連絡がとれて調べてもらい、
大連の日本領事館にも電話をして、状況の変化を
確認しましたら、すんなりゆきそうもありません。
河北省・北京からの旅客は全て、1週間ぐらい大連で足止め
され、安全を確認してから成田へということになりそうです。
旅客の健康状態をチェックして・・・ということらしいです。
いずれにしても、大連で10日間は覚悟してでかけます。 村上

遂に我が朋友・村上老師は、中学校が8月まで休校になり、用が無くなって
日本に帰って来ることに決まりました。
 私、大石もこのSARS騒ぎが無ければ、北京経由でシンタイ市を訪れたく、
老師と話をしていたところでした。・・・・・・
 すべてダメになりました。  遺憾!!