華 山
2004・5・25(火)
華山が中国有名聖山五岳の一つだと、当時知る由も無かった。
 でも何故か気になっている山ではあった。
山といえば黄山とか武陵源(張家界)や峨眉山がすぐ目に浮かぶ。

では、なぜ華山かというと、知人の留学生の陳姉弟を高千穂登山に連れて行った際、弟の豪クンが
 「中国には崋山という山があって、そこはここよりずっと険しい、すごい山です」
 と言ってたこと、同じく鹿児島大学留学生の白銀平さんのエッセイを日本文に翻訳した時も、その中に崋山の素晴らしさを紹介してあったことなどで崋山がぼくの頭のなかで、ある種の存在を占める山になっていたのである。

 ぼくはいつの日か、この山を自分の足で必ず踏みしめるんだ、という、確信みたいなものを持っていた。
 だから華山の姿を初めて見た時の出会いの挨拶は
初次見面」ではなく「好久不見(久しぶりですネ)」だった。

 ぼくはどちらかと言うと山登りが好きな方ではない。山は好きだけど、登るときのきつさが嫌なのだ。登りはじめて10分もするといつも
 「アァ,来るんじゃなかった。」
  と後悔する。それなのに登りたいと思う。最近は体力や気力より、体が言うことを利かなくなったら・・・と思うと無理してでも登れるうちに、なんて思うこの頃である。
 ところで、 生涯にぼくの登りたい山、すなわちぼくの五岳を挙げるとすると、次の山である。
 富士山・屋久島の宮之浦岳・中国の黄山・西安の崋山・麗江の玉龍雪山実は、すでに前の三つは登ってしまった。

 今回の崋山を踏破すると、後残るは玉龍雪山だけということになる。玉龍雪山は4年前、麗江に行った時、かの山を遠くに眺めながら、ツアー旅行だった為に果たせず、頂きの白い雪を眺めつつ別れてきた思いがある。
 《崋山一日遊》の費用は260元ということだった。ほとんどがバス代と入山料だとすれば高いのか安いのかわからない。こちらの旅行社の例の寄せ集め団体ツアーである。

朝8:00の集合から帰りは6:00ごろと言われた。ガイドから8時にぼくの携帯に電話がかかった。本当に、中国手机は役に立つしろものだ。
 「グォ 来了!」(
モウ ホテルに着きましたよ。)という電話だった。また、慌てさす。結局、ぼくの前に乗っていたのは4人で、なんと、バス(班車)を4回も乗り換えて、最終的には12名ほどのグループでバスは崋山に向けて出発した。
 ガイドもその間、3名ほど変わり、今のガイドが本当のガイドなのだろうか。といことは、ぼくが日本人だといことは多分わかっていないのかもしれない。まあ、別にどうということもあるまい。

 ぼくはもう、あまり考えない事にしていた。一緒に行動しているうちに分かることだろう。
 一行が売店で軍手を買っていた。それと、何か?赤いひもを買っている人がいた。
 ちょうどいいチャンスだと思い一行の中の、若い一組の女子大学生らしき小姐たちに訊いた。
 「ぼくは日本人の旅行者です。ひとりで旅をしています。」
 と自己紹介をしてから、
「 ところで皆さん手袋を買ったようですが必要なんですか?」
 「それと、 その赤いひもはゼンモヤン(
なんでしょうか?
・・・・・と。
 彼女らは江西省.吉安から来た女子大生だと言った。返事はいつも英語だった。
 「手袋は坂が急なので手をつく機会が多いからつけた方がいい」 、とガイドの説明があったそうだ。
 もう一つの赤いひもについては縁起物らしいこと以外は、彼女らの説明にぼくの語学能力がついていけなかった。

 結局、このほかに二組の熟年夫婦、一組は北京人、一組は四川人の7人が索道(ロープウェイ)で北峰(雲台峰)1614mまで上がってそれから西峯、南峰と廻るコースを辿るメンバーということになった。
 要するに、ぼくは
ヨン スダオ(ロープウェイを使って登る組)というキーワードに飛びついただけのことで、もう何度もこの言葉だけは張家界でも、鄭州でも、蘭州でも、どこでも聞きなれた言葉だったのである。
 余談だけど、ここのロープウエィの料金も50元と高かった。他の人たちはそんなに出していないようで、なにやら騙されたような気がしていたらガイドがご親切にぼくに言った。
 「アナタのだけは往復切符ですからこのカードはだいじになくさないでください。」
 ところで、ここでぼくの感じた崋山の印象を書いて見たい。
 崋山は今までにぼくが抱いていた中国の山とは違っていた。
 今まで見てきた山、又は登った山はとても好看(ハオカン!)つまり、眺めることで感動した山がほとんどだった。

 黄山を筆頭に張家界、峨眉山、九寨溝・黄竜、衝山、しかりである。キーワードは奇岩と松と絶壁である。

 ところが、この崋山の他の山との最大の違いは、この山はいわゆる訓読みでよむ「いわやま」ではない。音読みで読む「ガン山」とでも言おうか。「いわ壁」ではなく、崋山の岩はまさに「ガンペキ」なのである。
 山全体が一枚壁・・・・・・・・・・・。
 「中国超級旅遊術」第三書店・を書いた河合宣雄氏によれば
・・・・「そもそも崋山は、大昔には地下に埋もれていた岩石です。
  それが約8000万年前の地殻変動で隆起し、反対に渭河地帯が陥没して、現在のように海抜2200mの山になったのです。
 崋山の登山路は一本だけで、山頂部分でのみグルリと一周できる回遊路になっています。・・・・・

 索道〈四人乗り)もかなりの急勾配である。ロープウェイに乗って
 「チョッと、怖いな」と感じたのはいままでで初めての経験だった。
 登山道は幅1メートルぐらいの急勾配ではあるが,感心するぐらい綺麗に階段を彫って出来ていた。

 崖側や岩肌の側にもしっかりした鎖が張り巡らされてあり、よほど高所恐怖症でない限り、下を覗き込まなければ、歩いている分には遠くで眺めるほどは怖くはなかった。
 あの赤いひもは大部分はこの鎖に結ばれていたけど、崖の外に生えている樹木の枝、それは、あんなところに一体、どうやって付けたのか?《》とと考えられない位置、
絶対に崖から落ちてしまう位置に付いているのには驚いた。

 時間と共に仲良くなってきた、にわかグループの皆と、登ったり,下ったり、途中の寺院(がある)で休憩したり、岩の間の休憩処で休んだり、「声を掛け合ったり」「冗談で笑いこけたり」、手を差し伸べて、引っ張り合ったり、時には、下からお尻を持ち上げあったり、・・・・と、
 名前も呼び合わない(
中国にわかツアーに名前はほとんど不用)同士が本当の仲間同士になって行動すること3時間余り。
数時間後には別れ別れで、おそらく一生逢う事もない人たち同士の一期一会である。旅のたのしさを感じるひと時だった。

 もし、独り行動だったら果たして3っの峯の頂上に立つ事が出来ただろうか?おそらく無理だったに違いない。ただ、残念だったのはあの名高い空中桟道をちょっと見てみたい、という夢は果たせなかったけれど。

 ぼくは蓮華峰に立ったときフト日本にいる留学生、白銀平さんの顔が浮かんだ。
 「そうだ、ここから電話をして、驚かせてやろう」
 手机をポケットからとり出し何度か送信を試みた。でも、日本へは残念ながら繋がらなかった。  
  まさに 《山登りを満喫した》そんな崋山一日遊だった。
 
 華山から西安に戻ったのは予定の時間をはるかに越えた夜の10時すぎだった。
 5:30に華山からの帰りのバスが出たからここまで4時間30分かかっていることになる。
 実は二ヶ所ほど寄り道をしたのである。
 一箇所はこの手のツアーに.は付きものの買い物停車である。・・

・・・・ 椅子が並んだ個室に一行が案内され、白衣を着た若者の薬剤師もどきが講演というか説明がが始まる。
 手にはひからびた茸みたいなものを2.3個持っている。、
   いつでも、どこでもある販売パターンである。

 10分ほどの説明のあと大きな売場に導かれる。
ぼくは 「ティンブドン!」(
言葉がワカリマセーン!)と言って外に出た。

 大体、同じような行動をする人が何人かいるが他のメンバーは結構中を徘徊して売り子の説明を聞いている。
 その割には買い物をしてくる人は余りいない。中国人は人の話を聞くのが好きな民族なのか?それとも、従順なだけなのだろうか?

このあと、絶対見逃せない場所だから、みなさん是非観て行って下さい。とガイドが薦める
《西岳寺》に立ち寄った。
 結局、此処に1時間ほどいたことになる。
写真も沢山撮ったけれどこのページに収めることが出来ないので
写真だけ別の写真集に貼り付けます。

 見たい方はここ《西岳寺》をクリックしてください。
このあとは西安編の後の方が26日〈水)の行動になっている

二日後、28日より鳳凰に行きました。

南峰(落雁峰)
西峰〈蓮花峰)
北峰へ
有名な石門。すごい岩です。
オレンジトブルーノセーターが江西大学生
上下:70度はある急な階段。
北峰(雲台峰)
女子大生ギャルと。
ファシャン hua shan
全写真拡大出来ます。