貴 陽
グイ  ヤン gui yang
考えてみると目まぐるしい旅を続けている。
 何もこうまで急がなくてもいいのにと思うのだが・・・・。

 自分で決めているのだから仕方がないが、つまるところ経済と曜日に左右されてこうなっている。
 打ち明けた話がこうだ。今、長沙のホテルに泊ると一泊300元はかかるのである。
 だからその分、旅先にいた方が無駄がなくていいと思う。それと、週末は小燕が何処か連れて行けと言ってくるのでなるべく空けておきたい。
 まあ、そんな理由で目まぐるしくなっているのである。
 
 31日の朝:長沙に着いた。今夜は
過程大酒店に泊って、明日は昼2:00の飛行機で貴陽に行かなければならない。

 洗濯時間は31日の朝の数時間である。益田氏の授業の間に済まさなければならない。
 1日の昼までには取り込んで旅行バッグに詰める。《今度はリュックで行こうか》」3泊4日の旅だけど郊外(山や滝)が多いので荷物が多そうでもあるし?。いつも行く前のシュミレーションで失敗する。

 小燕を通して華天旅行社に費用をサービスしてもらった今回の貴陽ツアーは往復飛行機を利用して3泊で1500元だった。

 日本円で2万円ほどだから、まあまあといった料金である。
 解放路の華天ホテルの1階に華天のサテライトがある。
 ぼくは8階の社には行かず、いつもここで小燕と相談する。
 小燕のほかに3名ほど事務の小姐がいてもう顔なじみだ。

ここのところ石油の値段が上ったので飛行機が値上がりして、割引がほとんどなくなったので厳しい,と華天小姐は言っていた。

 小燕が持ってきた旅行表を見るとこうなっている。
 第一天:14:00黄花空港発15:15貴陽空港着
       空港まで導遊(ガイド)の迎え有。市内の名勝を案内し       て弘福寺(チェンリン公園)        ホテルへ

 第二天:黄果樹瀑布(
ホワングワシュウプブー)約2時間半かかる。
       原始苗賽(
イエンスーミャオザイ
      天台山   天竜屯保         ホテルへ

 第三天:織金洞(ズジンドン中国第一鍾乳洞
                                ホテルへ

  第四天: 朝8:05貴陽空港〜9:05長沙黄花空港
                               
 ・・・・旅も少し重ねてくると、いわゆる旅の感慨というものが薄れてくることがよく分かってきた。
 旅の楽しみの2〜30%はあの旅立ちの朝の(昼、夜の場合もあるが)何ともいえない気の張りにあるといっていい。

 詳しく言うと、前の晩から、当日へ、そして、家を出て空港までの車中、そして空港ロビーへと続く一連の流れの中で湧き上がってくる何とも言えない緊張感、まさに《旅立ちへの序曲》とでも言える高揚感なのだ。
 ところが出入りが激しくなると、その辺の高揚が薄れてくるのである。
 ツアーコンダクターの友人がいつも羨ましいと思っていたけど案外彼らは今のぼくの気持ちに近いものがあるのかも知れない。

 貴陽は我が朋友:深栖氏が昨年、独りで旅して来た地である。
 鹿児島から見た時は上海経由で殆んど雲南に近い辺地に見えていたけどここ長沙から眺めると、西隣の省である。

 この前というより2日前に居た鳳凰からはほんの数時間バスに乗れば着くような距離である。後で地図を見ていて、これは帰らずに周遊した方が良かったのか?と思うことだった。

今日の長沙の天気は珍しく青空が広がっている。
 南方航空CZ8656機は定刻通り2:00に黄花空港を離陸した。

 長沙での短い1日はすべて上手くいった。天候に恵まれたからである。寮の前の校門を何度か行き来したが生徒と会えなかったのがちょっと残念だった。

 昨夜、チャンスがあったら安徽から来ている仲良し二人組の呉林小姐と李碧雲さんを平和堂7階のブラジル料理でご馳走してあげようと何度も寮に電話したけど通じなかった。いつも授業態度が熱心で、ぼくはこのふたりに目を向けながら授業をしていた。

 3:10 貴陽空港着
 空港に迎えに来てくれた国際旅行社の張騨くんの車で1時間ぐらい(約10`)で貴陽市街地に着いた。
 早速、甲秀楼を訪れた。



 甲秀楼は南明河の中洲に建つ高さ22m三層の楼閣である。
 河の中の巨岩の上に立っている。明の時代に建てられた美しく歴史を感じさせる建物である。
 楼閣の上からは市街地を眺める事が出来て夜はライトアップされとても美しく、中では茶館が各楼ごとにあり、市民の憩いの場として利用されているようだ。
 この後、市の北西部(ぼくの泊るホテルもこの近く)にあるチェンリン山の中にある弘福寺に行った。ロープウェイがあったけど九曲径と呼ばれる登山路を登った。
 弘福寺は海抜1300mの山頂にあった。

 園内には麒麟洞という洞窟があり国民党と共産党の内戦中に張学良が幽閉されていたところを見学した。

 貴陽のガイド・張(ジャン)くんはかっこいい若者で、結婚していてもう子供も居る.と言ってましたがとてもそうは見えなかった。

  「貴陽名物を今夜、食べたいですね」
 とぼくが言うと、
 「 しゃぶしゃぶなんかはどうですか?」と彼が言う答えたので「いいですね。」と、今夜の夕飯が決まった。
 もう6時も過ぎていたので「じゃあこのまま行きましょう。」と、早速、街に繰り出した。

街の一番店だという大きな餐館でる。あいにく個室しか空いてないという。「OK]と答えて案内された。
 写真のような沢山の名物菜が次々と出てくる。
 魚星草(ユイシンツァイ)は殆んど食べれなかった。又、日本豆腐で失敗した。あのソーセージ形の黄色い玉子トーフを見たら「シマッタ」と思い出した。何度やられたことか。又、忘れていた。

 長沙で、西寧で、同じ失敗をしたのに、豆腐という名ですぐ注文してしまう。それにしてもここの料理にはあのぼくの嫌いな香菜(シァンツァイ)が殆んどの料理に入っている。

 アヒルの内臓もダメ。皮タン(卵)も嫌い。酢菜も折という料理も美味しくない。土豆(じゃがいも)かろうじて食べられる。・肥牛肉のシャブシャブを二人前注文、お湯に入れるとすぐちじんでしまう。
 タレがとても辛くて味が変で食べられないので「しょうゆ」と「酢」をもらって自分でタレを作って食べた。これは旨かった。もう一皿、こんどは羊肉を注文した。

余り食がすすまなかったので張くんに悪いなぁ、とは思ったが、これだけは仕方のないことだった。

次は 黄果樹大瀑布へ行きます。


貴陽空港から見た山:全て開聞岳に似てる。
右は市内を流れる南明河 
街のど真ん中にある甲秀楼から
ホテルの部屋からチェンリン公園を
望む。弘福寺への参道の風景。
導遊のジャンくんと行った街で有名なしゃぶ
楼 と気に入ったチェンリン大酒店ホテル。
ホテル前はこのような露店屋台が並ぶ。
弘福寺いろいろ。
弘福寺いろいろ。猿もいる。
弘福寺いろいろ。
弘福寺いろいろ。ジャンに詳しく説明して
もらったけど何も覚えていません。
弘福寺いろいろ。境内、この日は中国の祭日
児憧節つまり《子供の日」でした。
2004・6・1
臭豆腐は長沙だけではなかった。
もう子供がいっぱいの今日でした。
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