八期会ワールド
2000年10月・SJツアー(アメリカ西海岸の旅)の想い出シーンを
スライドショーで紹介します。
40枚位の写真が入ってますので、ダウンロードに時間がかかります。そのつもりで
でも、待っただけの事はあります。
今年の「八期通信」はSJツアー・アメリカ西海岸の旅・特集号の為、構想,に時間がかかり発行日がおそくなりました。
 写真も今までになく多く、原稿も力作ぞろいで、今までの一つの区切りの号と言えるかも知れません。
 来年から又新たな出発といえます。
 左の「八期通信」トップページは実は、実際に発行されたものとは違います。
 ミスター八期・浜崎クンのヤァヤァヤァ!!をトップにレイアウトしたのですが、このページに収めきれず、次ページまでまたがるので残念ながら、この型のトップページは幻になったのです。
 記念にと思いここに、残します。
  2001年11月25日  おおいしけいじ。
このページ八期ワールドはSJツアー(第一回は還暦記念ラスベガス)の思い出写真や皆のメッセージなどを載せていきたい、と思っています。
左のスライド写真集は僕がホームページを最初に作った2001年(昨年)の9月ごろに、一番最初に試みた画像処理でした。 
立ち上がりのスピードなど考えずに作りました。後でなかなかスライドが始まらず、これはダウンロードに時間がかかるんです。・・と先輩に教わり、じゃ消そうか?と何度か思いましたが消しがたく記念に残しています。

八期通信や旅行参加メンバーに差し上げた写真にない初公開画像で辿る思い出の

VIVA!アメリカ西海岸の旅を綴ってみました。         2002・1・29.
隈元達雄
柴田英紀
南郷善之助
藤崎宏忠
益山敏弘 
森   繁
   奥様
吉田  節
有馬博文
大畑寛子
大石慶二
浜崎  隆
上田平加津子
横山磨子
平田瑞代


上田健治
   奥様
古里洋聿
   奥様
四元政明
渡辺義照
   奥様
中原真喜子
西村絹子
平澤希代子
木村美子
永野和
27名(男 13名 女 14名)
ツアー参加者
空港から出てバスに乗るまでのシーンを一挙公開しました。多分ロスアンゼルスの空港だと
思います。芸能ルポならさしずめ歩く歩道でのスナップなんでしょうが、まるで、サムソナイト(旅行
カバン)のお披露目シーンと相成りました。
普通はとても退屈な筈の・・・待ちの間さえ仲間といると、とても楽しいものです。
考えてみると、お互い個人関係では当時語り合った訳でもない人、 特に男女間は。、そうでもない仲良し
だった人たちも、当時の光景をひきずりながら語り合う・・・・・そんな風景でした。
麻薬犬に捕まる。
ロスの空港に着いて入国手続きを待ち並んでいる時突然、犬が舌を出しながら仲間のバッグを噛み?ついてウワーン・・・・事件1早速発生!!
周りにすぐ人だかり、といっても、八期仲間だけ
 「アレ!ミカンに噛み付いてる。」
 「生ものはいけないのヨ」「そうなの?」

「でも、よかったわよネ、わからなかったら取り調べ室に連れて行かれ、犯人扱いよ。」
「着いて早々先が思いやられるワ」・・・・・
・と、一件落着でした。
さて、入国手続きも終わり、やっと憧れのアメリカに来たことになりました。ラスベガス行きの飛行機を待つ間のロビー。浜崎、四元、南郷4人。早速
「オイ、ビールを飲マンケ?」浜崎
「オーケーオーケー(イングリッシュのつもり)」3人
「ごく自然に英語がでるナ」四元。
カウンターに座る。なんとなくアメリカ的。
・・突然一人のアメリカ人が来る。
「:;@「」^−09l;。・?・・・」さっぱり分かりません。「
ノー、アンダースタンド!南郷。
なんのことはない。親切に「こちらのボックス席と代わってあげましょうか?」と言ってくれたのでした。やっと分かって一同大きな声で、そしてアメリカ式にとても大きなジェスチァで
 
オー、ノーサンキューノーサンキュー
 アメリカでのはじめての英語でありました。
側に置いてあった時代物のジュークボックスから
エルヴィスの「ロンサム・カウボーイ」が流れていた。 ちなみにビールは勿論バトワイザー、値段は一本175円でした。
左はホテル ニューヨーク ニューヨーク
ラスベガスで人気の施設「
マンハッタン エキスプレスの実物を初めて目に前にして感無量!!
でした。「ヨゥシ2日の間に絶対乗るゾ。」
と心に決めましたが果たせませんでした。残念!
海賊船のショーで有名な
トレジャー ホテル 

サーカスで子供に人気の
サーカスサーカス

MGMグランドホテル 部屋数5005室
ラスベガスは二回目でしたが、本当に、見事に変っていました。年代、性別、を問わず、といっても子供にとっては、ディズニーには負けるでしょうが、とにかくすばらしいエンターテインメントの街に変貌してました。当時(25年ぐらい前)はカジノ以外は遊ぶ所は殆どありませんでしたが、」今は
ギャンブルはしなくても遊びきれない・・と言った感じでしょうか?
 そんな中で、八期の中でただ一人ギャンブルに耽っていた男がいました。その男の名は・・
 
四元政明・・・彼の懺悔録を披露しよう。

・・・・私一人カジノに残って終日、スロットルとにらめっこして、もう見るのも嫌になるぐらい堪能しました。結果は皆さんを代表して米国に経済援助してきました。さてカジノで一人米国に立ち向かっていたときのことです。
ペテロ先生直伝の英会話で流暢に対応するはずでしたが、からいもイングリッシュでは通じないことが分かりました。コーヒーを注文したら、コカコーラが出てくるし、隣の人が飲んでいたジジョッキの生ビールを指差して「ワンビール、プリーズ」と頼んだら炭酸入りの清涼飲料水(後で浜崎君に聞いたら「ソヤ、ジンジャーェルやっど」とのことでした。
「色は黄色かったけどナあ、泡も立ってたし・・」「わいが目が黄色なおったたちごか?」・・・・・・・・腹が減ったので、今度は用心して、メニューっを指してリブステーキとサラーダを注文しました。
 そしたら何と3人前はゆうにある大皿が出てくるはで、なんぼ僕の体形が食いが立ってると思ったのか親切も程ほどに、と言いたかったです。しかし、身振り手振りを交えてのカタコトの単語でも何とかなるものだなと、ヘンに自信を持ちました。(この次はあたいにまかっしゃんせ)・・・・・
・・・
最後に、ゲーム中の食べ物は無料。
ウェイトレスはモンローかテーラークラスでした。


・・・・・・・・・・・夜は、光と音の交響曲に変身。
迷子にならぬよう、腕を組んで、寝るのも惜しいほど、歩き回った。
まるで、花火の中を散歩しているよう。
広場も人がいっぱい。外へ出ても人がいっぱい。アメリカは何でも大きく大量だと聞いていた。
皿、カップ、肉、ジャガイモ、サラダ等々。
驚いた!!大きなジャガイモ、一個 皿にドン。肉と間違えてウエイトァーに
 「ウエルダン、 ウエルダン 、プリーズ!!」とお願いしている可愛い友人がいた。
 私もそう思った。   周りは大笑いをした。
 夜景を眺めながら、まるで宇宙船のレストランのようだった。

25年前,泊まったスターダスト当時は大きい方だった。
・・
フリーモント・ストリートのアーケード(210万個のルーフショー)は寂れていたダウンタウン(ラスベガス発祥の地)の息を吹き返らせた。ダンタウンに来る客は5倍に増えました。ライトショーは街起しの一環で、市長の一番の功績とされています。
1905年砂漠の中にユニオンパシフィック鉄道が
出来ました。急に街に人が集まって、その娯楽場として出来たのがカジノの始まりです。1931年には州でカジノが合法化され、ますます活気を呈しました。
現在はカジノのまちから一大ファミリーリゾート(1960年代から大手ホテルが進出)

ステーブン・ウィン
ラスベガスをカジノの町から一大ファミリーリゾートに変貌させた立役者です。ベラージオのオーナーでもあります。
 36億円の建設費用をかけた海賊船のショーなど、従来ホテルの中で行われていたショーを外で見せた最初の人と言われています。