大石ケイジ的長沙日記
岳麓書院
2004/03/27

長沙市といっても日本の旅行案内で目に付く観光地としたら、2000年前の女性のミイラが形が少しも崩れていないばかりか、皮膚がつやつやし一部の間接を曲げることさえ出来て、靭帯も弾力があり、死んだばかりの人の体と変わらない、と世界にセンセーションを巻き起こしたあの馬王堆漢墓》と《愛晩亭》ぐらいである。

 日本で魅力ある旅行地として認知されない理由のひとつでもある。事実、この二ヶ所にして見ても、行ってみると、《馬王堆漢墓》に2000年前のミイラが居るかと言えばそこにはいないのだ。たい侯夫人のミイラとその副葬品の殆どは尖子公園の隣にある
《湖南省博物館》に飾られてある。

 一方、毛沢東が若い日に参謀たちと国家の展望について語り合ったという庵?《愛晩亭》は何の変哲もない屋根つきの門といったところである。観光客が訪れたとしてもあの三峡下りの際、立ち寄る鬼城にも及ばない。
 西郷銅像前で写真を撮るようなものである。

 やはり、長沙の最大の売りは
《岳麓書院》でなければならない。地味な存在かもしれないが、岳麓書院は訪れるだけの価値と、訪れた後の満足感も充分得られる観光地?といえる。

 宋の時代,四大書院の筆頭に数えられた。世界で最古の大学に数えられている。北宋の976年の創建以来、千年以上もの間栄え続けてこれたのは、有名な学者がここに集まって講義をし歴代の帝王が題字を贈ったことと大きな関係がある。

 書院は湖南大学の広大な敷地の奥、岳麓山の麓にあり、入場料は18元である。ちなみに湖南大学生は生徒証を見せると無料とかで案内してくれた李先生は笑っていた。学生たちの寮が近辺に建っていて、この書院の庭園で読書をしたり語り合ったりするらしい。旧七高生の姿が一瞬だぶった。

 ちなみに、ここにある湖南大学は中国国内で唯一、校門と敷地囲いのない大学だとのことである。湖南一の優秀校であるが最近では中山大学の方が生徒の質は上だと李先生は話してくれた。「私は中山大学院生」ですとのことだったが。

 岳麓書院は入口の門、広間、東屋、楼閣、窓つきの廊下や小屋、祠、廟などからなる。
 特におもしろいのは毛沢東の若い頃の寝室や部屋、歴代の要人たちの訪れたとき書いた書、とその時の写真など興味深い。

 表の門に「唯楚有材・於斯為盛」の対句がある。
《楚に人材ありて、はじめて書院の繁盛有り》なを看板の《嶽麓書院》の文字は宋の真宗の肉筆と伝えられている。また、奥の広間にある朱喜自らの筆による「忠孝廉節」の碑は有名。

 杭州に行った時、深栖さんと訪れた南宋の武人《岳飛》廟を観た時も感じたことだが宋という時代、やがて北の騎馬民族《元》や東北《金》などに滅ぼされる《漢民族》の華やかな一つの爛熟の世代にいつも自分は惹きつけられる。もう一度、ここ、《岳麓書院》は訪れたい。お勧めポイントといえる。

 ここ岳麓山は山自体が一大行楽コースになっていて半日コースでゆっくりしないと本当のよさは分らない。もし仮にツアーのコースとして、この山のポイント、《幾人かの有名な先達の墓(国民的英雄・黄興の墓も含め)を訪ね。麓山寺、白鶴泉、愛晩亭をもし仮にツアーバスで回ったとしたらフイルムに収められた記録の何十分の一も本当の頭の中の記録には残っていないに違いない。

やはり、心地よく歩きながら現れる場所、場所がその歩きを含めてよみがえってくるものだからである。その辺が博物館に何時間いて眺めても、数々の遺品、出土品などが何処の博物館で見た物なのか記憶に乏しい理由かも知れない。

 さて、期待して行った
《黄興墓》は余りにも立派??過ぎて、何の感傷も沸いてこなかった。あれは、墓とは言わない。日本では、モニュメント(記念碑)と言います。

 そう言えば、湖南大学の中央にも巨大な毛沢東の像が建っていた。
背面に回って建立記録を見ようと思った。そこに書かれて いた黒マジックでのイタズラ書きが目に入った。心無い学生の書いたものか?旅行者の誰かが書いたものか?分らないが、ここで《その文字》を書く気になれない。

 そういえば、案内してくれた李先生が語っていた。この山もこの頃、物騒なのです。この前も山中で人殺しがありました。ゆすり、泥棒はしょっちゅうです。
 僕は答えました。日本も同じですよ。何処も危険は一杯ですね。それは、治安とか生活格差の歪からだけではなくて、人のこころの問題でしょうね。と答えておきました。

 帰りのバスの中で学生と話しました。僕ともうひとり年老いた腰の曲がった老人がいたとします。あなたは、空いた一つの席にどちらを掛けるように勧めますか?

 「わたしは先生にその席をすすめたいと思います。でも、もし、先生がその人に勧めたらそれはそれで理解できます」彼女は答えました。

 11時からバスに乗って訪れた今日の《岳麓山一日ハイキング》も大橋1号を渡る頃はもう時計の針は6時を過ぎていました。バスを降りて歩く、皆の足もこころなしか引きずるような足取りにみえました。

 帰る途中、一軒の餃子屋に立ち寄り餃子を主食に2本の冷えたビールを7人で「乾杯!」しました。

《湖南省博物館》
《愛晩亭》
《黄興墓》
《岳麓書院》
岳麓山頂と湖南大学通り