大石ケイジ的長沙日記
範典くんと禹東くん。
2004/03/21

昨夜は完全に酔いつぶれました。白酒は50何度あるらしいです。

 「天気が悪いので今夜は私の家で食事しましょう。」範先生からお誘いの電話が入った。
 「鄭さんも呼びましょうか」そういえば彼とも暫く会っていない。


 午後3時ごろ範先生が迎えに来られた。鄭さんの家に行き、それからお宅へと向かった。鄭さんは今、仕事がとても忙しいらしくて先週も又出張だったらしい。4月になったら少し暇が出来るので魚釣りに行こうと言う。

 範先生は現在、椎間板ヘルニアで苦しんでいる。腰に手をやって顔をしかめることが多い。範さんは若い頃、東京に8年ほど住んでいたそうだ。学生生活だったろうと思うがまだ詳しいことは聞いていない。もともとは上海の人だと鄭さんから聞いた。

 東京近郊以外は何処にも行ったことがないと言う。折角来たのだから何処へでも、という僕などとは思考機能が違うのかもしれない。
 それでも日光の鬼怒川温泉には2回行ったと懐かしそうに語った。そのうち彼の日本体験談など、書いてみたいと思う。

 それにしても彼は良く頑張る。月曜から金曜まで朝8時から夕方4時半まで、その他に夜7時半からの夜授業もこなす。スーパー先生である。一度、授業を覗かせてもらったけどその授業ぶりは徹底している。

 生徒たちに妥協を許さない。徹底することが子供たちへの義務であり愛情と考えているのだろう。

 さて、家はマンションの5階にあった。真新しいドアが付いていた。すぐ奥さんのリュー先生が迎えてくださった。子供さんは8歳の男の子で名前は典という。 お父さん似のきりりとした顔つきをしている。

 「ようこそいらっしゃいました。私は範典と申します。」
 恥ずかしそうに、でもしっかりした日本語で迎えてくれた。

 鄭旗さんの坊やはもう2回目である。お名前を禹東くんと言う。
禹と言う字はいわれがあるらしく昔、紀元前600年ぐらい前夏という時代の初代の皇帝の名前らしい、この人は治水に貢献したと言われている。

禹東くんが生まれた年に中国は大洪水に見舞われたという。それを忘れない為にこの名を付けたと言う。
 このように中国では人の名前を付けるときは、何かにちなむ場合が多いという。

 最近の日本はかというと、流行なのか、わざと当て字で読ませることが多く、ルビ無しではとても読めない始末である。
 「字はこうなんだけど、読み方はこうなのよ。」
 なにか勿体ぶった言い方で若い母親が答える光景が多い。
 書いたとおり素直に読ませなさい。と思ってる人も多かろう。

 範さんは手料理が本当は得意らしく
 「私の腰が痛くなかったら焼き餃子をはじめ日本人好みの中華を作ってあげたかったのに。」残念と言われた。

 近くに出来たという大きな海鮮レストランで宴が始まった。白酒の応酬が続き、だんだん朦朧としてきた。
 正直いって僕は生まれてこの方本当に酔ったことは無かった。

 ある限度でストップするからである。でも、今夜は違った。小さなグラスでの一気飲みである。5杯位まではまだ笑みも、意識もあったけど、そのあとは余り覚えていない。

 夜中にとつぜん電話が鳴った。自分が家のベッドに寝ているのが不思議だった。上海の李黎からだった。
 「ケイジさん。風邪はどんなですか?」
 「我酔酒了!頭疼!痛苦!」答えるのがやっとだった。
 電話を切ると急にムカムカしてきてトイレに
急行した。