大石ケイジ的長沙日記
司馬遼太郎の話
2004/03/17

 僕は司馬遼太郎が亡くなった時思った。

 「もう今後、僕が歴史小説を読む事はないかもしれない。」と、本屋にも、もう行かないのでは、とさえ思った。
 これは僕だけではない。戦後に教育を受けたサラリーマン、知識人、のほとんどが「貴方の趣味は?」ときかれて読書と答えた9割の人は愛読書の中に司馬遼太郎の作品が無い人があるだろうか?

 三月号の文芸春秋のなかでもどなたかが書いてあった。すなわち、「日本ではこの200年に三人だけ、「歴史を作る歴史」を書く人物を生んでいる。すなわち、
 ・・・『日本外史』の頼山陽、『近世日本国民史』の徳富蘇峰、そして司馬遼太郎 である。と


 話は変わるが、ここでの僕の授業だが「作文」と「日本事情」である。日本事情の教科書はもう10年ぐらい前の教科書なので「ここにはこう書いていますが、今はもう違います。」「今は、この問題は既に解決して、今度はこんな新たな問題が発生しましたネ」

 ・・・といった感じで授業はすすむ、マイホーム事情にしても、一向に授業が進まない。もっとも、そんな話をするのが現代日本事情と心がけているのだが。

 昨日、作文の宿題を見ていて思った。それぞれ、考えてみれば、わずか1,2年の間に、これだけの外国語表現力がよくもついたものだと。僕など中国語も、英語も文章の繋げかたさえもまだまだで、助詞などの文法や、まして、気持ちの表現などはお恥ずかしいかぎりなのである。そんな僕が
 「日本人ならこんな言い方が普通ですよ。」
 なんて生意気に言っていいのかなと思うことでした。

 さて、また話は変わる。実は、今こういうことを考えている。時間があまっているので学生たちに司馬遼太郎の講演の話を聞かせてあげたらどうだろうか?と、たまたま、来る前に朝日文庫の司馬遼太郎講演集1を持ってきていた。

 日本事情を読んで聞かせるぐらいなら「日本の行く末」「日本のありよう」を本を通して語られている司馬氏の講演を読んで聞かしたい。独断と偏見であるかもしれないけど、僕流の解釈もつけてみたいと思った。

 勿論、出席などとらない、僕の講話室である。

今朝、早速、範院長に提案してみた。彼はニッコリ笑って快諾してくれた。

 「それはいいことですネエ。さっそく今夜から始めませんか?」と。
 7時半から9時まで、生徒の自習時間なのである。

 さあ、どんな結果になるのか?今夜は楽しみである
本好きの王くんや1年級の作家志望の屈くんなどと本を通して語り合うことは楽しい。

 この小さな中国の塾から明治維新を成し遂げた偉大な明治の賢君たちを輩出した松下村塾のほんの真似事でもしてみようか?
 何か力になってあげたい。と思う。
またまた話が三転する。
 今日、日本の東京で悪い会社が中国人留学生をまた騙して金を何億とか、稼いだ人もいる。・・・と、学校に文書が回ってきた。実は僕は赤塚氏からの昨日のメールで概略は知らされていたのだが悪い日本人もいるものだ。
 悲しい現実の狭間で多くの善良な人々が犠牲になる。


今、9時半である。念願の夜の講話を今、終わってきた。100分の講義だった。「文化と文明は一枚の紙の表と裏」と言う話をしてきた。昼間に無い学生たちの目の輝きに満足してきた。自己満足に浸る。

 「難しいけどとても面白かったよ。」そう言ってくれました。きっといつの日か生徒達は必ず司馬作品に出会うことだろう。そして、学生時代に日本人のおじさんが語ってくれた司馬遼太郎の話を思い出してくれるに違いない。

夜の自由授業に参加した生徒たち。
1年・2年合同の講義というより講演
といった感じです。
アインちゃん、姓名りぅこぅあぃん
クラスの、というか授業中のリーダー
格でした。