大石ケイジ的長沙日記
僕の夢・私の夢
2004/03/16

・・と言う題で作文の宿題を出しました。今回、三人の生徒・李湯竜クンと王俊クンと陳慧君さんの作品をノーカットで転載します。実は三人とも後で書こうと思っている僕の考えに沿った作文だったからです。

 
「僕の夢」      李湯竜(リトーリュウ)
 あなたの夢はなんですかと聞かれたとき、僕ははっとしました。そうだ、僕の夢はなんだろう 考えたことがないとはいえないけど、なんか最後までのかわらない目標はないんだ 子供のとき 警察についてのテレビ番目を見ていて、とても僕はそのなかにでてきた警察のことにかんしんしましたのでそのときからもし僕は警察でしたら、犯人をたくさん捕まえたいというゆめがありました。
 またもっとおおくなって僕の夢は変かつた
 今度は お医者になりたいという夢でした、もし僕お医者さんでしたら自分の仕事に身を入れて病人のためいっしょうけんめ がんばって 多くの患者さんをつらい生活から救い出したいと思いました。
 しかし夢は夢だ、時間の経つにつれて変わることがあるかもしれません。たとえば、僕のいまの夢はなんだなあ!やっぱり変わった。たしか翻訳家らしい。
 翻訳家になるのはほんとうの夢だが この夢がかなうことができるのか、今 の調子からみてちょっと不可能かもしれない。  でも僕はあきらめると言う気持ちがない。自分の夢のため、もっとかんばりたい。


  私の夢       王俊
 人間はひとつ美しい夢があります。夢は現実になるために毎日そいう目標を努力しています。ひとつ名人はこいうことわざを言ったことがあります。
 人生は船のようです。夢は船の航路標識です。もし航路標識がありませんでは 船は大海の中に迷っています。最後は大海にしんしょくされてしまいました。
 もしあなたは教師だから、きっといい先生になりたいです。沢山いい学生をそだてたいですが、もしあなたは建築設計師だから、きっと世界では一番高い建物を設計したいんです。
 私もたくさん美しい夢があります。こどものとき、本を見るのが大好きです。いつでも、時間が会ったら、本を読んでいます。本の中にいろいろな知識を得ました。
 各国の歴史文化、風土を了解しました。そのとき、作家になりたいですで、いい作品を書きたいんです。
 でも、時が経つにつれて、私はだんだん成熟になりました。 小学校から中学校まで私はずっとがんばっていました。しかし、重点高中学試験に失敗しまいました。
 失敗の味を初めて味わいました。とても哀傷です。
やがて、私の夢はいい大学を通りたいんです。でも2001年に高中を参加しました。もう一度浪人になりました。そのあとは私の前途は迷っています。どうすればいいでしょうか、わかりません。
 両親と友達はがんばって諦めるなといいました。力付いてきました。
 今私の夢は小さいです。将来いい仕事しかさがしたくないんです。家族のみんなたのしくくらしたいんです。それだけです。人生の進路は長いですから、困難沢山あります。でも私は自信がありますから大丈夫です。
 きっと成功になると思います。

   
 私の夢   陳慧君 チンケイクン

 私は湘譚から来た女の子です。子供から好奇心が強くいろいろなことを体験してみたいと思うので、夢は世界の各国へ勉強に行きたいと思う。
 私が初めて日本に興味を持ったのは中学校の二年生時でした。教科書に出ている日本の有名な山富士山の写真をを見て、日本経済に関心を持ちました。また日本には歌舞伎や相撲など伝統的なものが沢山あることをテレビで知りました。 
 発達した経済と古くからの伝統が同時に存在している日本と言う国はどんな国なのか知りたくて、卒業してから日本語を勉強することにしました。現在私の夢は日本へ勉強しに行きたいです。
 将来機会があったら日本へ行って日本経済学を勉強するつもりです。21世紀中国はWTOに入ってから中国と日本は経済での交流するのである日私は中日経済での交流学者になりたいです。そしたら、これから私はこの大きな夢が実現するために一生懸命勉強しています。