記念植樹祭のあれこれ。


 50周年同窓会のプレ事業として当日の午後1時から、母校・鹿児島市立玉龍高校で記念の植樹が行われた。

 60数名の仲間が全国各地から母校を訪れた。
卒業から50年、もしかしたら、50年振りという会友もいたのかも知れない。
 
 それとおぼしき初老?の男女が校門をうろついているが、顔に覚えがない人が何人もいる。顔が合うと、仕方がないのでニコッと笑って見せる。この時間に、こんな場所に来るのは同窓生しかいないと思ってのことである。

 「大石さんでしょう。・・」と、見知らぬ女性に言われたけど、その女性が誰だか分からなかった。
「廣濱です。旧姓、有川です。」と言われて反射的に出たぼくの言葉が
 ??「有川リュウコ??」、すぐ下の名前がワンセットされる。でも、敬称が付かないのは何故なんだろう。きっと○○年前に脳がリセットされたのだろう。

 植えられる樹の位置は願ってもない好位置だった。
 50年前、遅刻ギリギリに校門に滑り込み、池畑校長に目玉をくらったあの校門のすぐ右である。

 この場所としては第一号の植樹だそうだ。
 実は昨年、暑いさなかに何人かで、下見に来た場所は学校の最も左側で、もう既に何本かの記念樹が雑然と植えられており、
 「オイッ、どこか空いたところがあるかぃ」と隈元くんや森君と何度も往復した。

 ところで、今回の記念樹イベントで、いちばん貢献してくれた友は3組の有村友宏くんだった。写真で見てもお分りの通り、プロの庭師そのものでしたね。さすがに退職後に選んだ仕事が造園専門学校出のれっきとした職人さんなのだ。

 前日の夕方学校に来て、隈元君と3人で翌日の準備をした。業者がクレーン車で運んできた思いのほか大きな5年物の「ソメイヨシノ」を、大きな穴を掘って仕込みの手伝いをしたら、その晩、突然、右肩が上がらなくなった。

 昼、そんな土堀りの労働をしたことを忘れていたので、、突然起きた身体の異変に「アッ、なんか変だ!」と一瞬、びびってしまった。

 記念のプレートのデザインを自分が担当したので位置関係をチェックするのが目的だった。
 しかし掘った位置にコンクリートが埋まってたのでそれを避けようと3人でつい熱が入ったのである。

セレモにーなので集まった皆さんに穴掘りを手伝わすのも気の毒だということになったのである。
お陰で、当日の仲間は土を入れるだけで楽なことだったろう。

ところで、集まった60有余名の同窓生仲間たちが目の前にした青春時代の回想の地はそれぞれに、どんな想いをそれぞれに、よみがえらせてくれたのだろう。

昨日、訪れた時はグランドではサッカー、ラグビー、その他、のクラブ活動の部員たちがグランド狭しと駆け回っていたけど、今日は全国一斉の???があるそうで広い?校庭にはまったくと言っていいほど学生はいなかった。



上の写真はその証拠。
同窓生仲間と話していると自分の中にある高校時代の思い出とかなりの差があることに気づく。学園生活(クラスのこと、クラブのこと)が希薄なのである。軟硬派でいえば、かなりの軟派の方かも知れないがいわゆるナンパ(する)というわけでもなかった。

 洗顔はロゼット洗顔パスタを愛用し、オロナイン軟膏とニキビとり美顔水も机の上の常備品だった。それは女性を意識してのことというより、中学時代の親友の影響をつよく受けていたようだ。

 大平君という小学時代から(超ませた親友)がいて、中学になると有村文之という、これまたかっこいいシティボーイと毎日が、兄弟以上の親密行動だった。

 学校の帰りに自宅(上町の方)に帰ったことは稀だった。山形屋の近くに有村の家(パチンコ屋)はあり、勝手口から入ると、かわいいお姉ちゃんたち(女店員)がいっぱいパチンコ台の裏の狭い通路を小走りで走り回っていた。

 ただ音だけ大きいスピーカーからは「お富さん」や「真室川音頭」がオートリターンで流れていた。
 まだ当時テープレコーダーなどなかった時代だったのできっとだれかレコードを回す係でもいたのかも知れない。

 手の中に入るぐらいの小さなミゼットカメラで屋根の上から周りを写真に撮ったり、ジェリールイスとディーンマーチンの、演じる「底抜けコンビ」上映されると二人で歩いて天文館へ映画を見に行った。

なかでも、そのころの一番の関心は外車だった。出っ歯のようなビュイックから今の新幹線のフェイスに似たスチュードベーカーは特に気に入りのアメ車だった。

二人が乗ると後部座席に埋もれるような外車のタクシーに乗って西駅の横、今の中央郵便局の前あたりにあった有村くんのお父さんの経営する東京パチンコ西駅支店まで乗って得意になっていたものだ。

 「あちゃこ青春手帳」「伴淳の二等兵物語」などの実演から、いずみやチエミのポピュラーや笈田敏夫や旗輝夫のジャズ公演など、このころ僕の脳にファイルされていくのは中学生レベルが受ける学問や、クラブ活動でのスポーツなどではなかった。、いわゆる「ませた、いまごろの中学生」をしていた。
この頃のことを回想したぼくのHPがあるお暇な方は覗いてみませんか。
     
    http://www.keiji.tenmonkan.com/giyokuryu.htm

 この傾向は高校に行っても変わらなかった。中学時代の親友、有村は部活でのマラソンがたたったのか鹿児島高校に入ってすぐに肺結核に罹って療養生活に入ってしまつた。

 彼とは2年ほどの空白があり、又、付き合いが始まるけど、今度は、付属中に行っていた大平くんとの「刎頸の交わり」が始まる。

 といっても彼らとの交わりは気心の知れた遊びの友だちの域を超えてはいなかったような気がする。歴史の本などで読むような、こころざしを共にする友や、人生の岐路について相談し合うような、そんな先輩や友は持ち得なかった。

 思えばいまから15年前、高校卒業35周年の33回卒がメイン幹事の全校同窓会に手伝うよう川原くんに乞われたのが高校同窓会に足を踏み入れる最初だった。

 青春は大学仲間と過ごした4年間の方がよほど充実していて、華やかな東京での4年間プラス3年間の美容師修行時代の方が想いが強かった。
 
 、もしかしてあの年の同窓会の2日前に鹿児島市を襲った未曾有の大雨「8・6水害」がなかったら、
 そして、自分で提案した同窓会当日のイベント「大抽選会」への隆くん、善之助くんとの連携、努力がなかったら

 今の八期会は発足せず、八期会という名前も、年会費納入というシステムも、もちろん「八期通信」の発刊もなかったと思う。

 もう「こころざし」や「人生の岐路」について真剣に語り合うこともなくなった今、本当に大事なことは会長の浜崎くんのことばではないけど 
   
    
   朋、遠方より来る。 また愉しからずや・・・・′

     八期会の集まりや交わりはそうありたいものと願う.。深刻な話や、家庭のしがらみなどは横に置いて、ほっとするような、元気がでるような、参加して「ほんとうによかった」と思えるようなそんな「場所」そこが八期会でありたいと思う。

 相談を聞いてあげるぐらいの関係の方が、お互い、重荷にならないものだ。
 歩いてきた長い人生だから、だれでも他人に言えない「ずっしりした重い荷物」を引きずっているものだから。

 さて、今回の50周年のイベントや進行は50周年同窓会の為に新しく立ち上げた4名の実行委員会メンバーが中心で進行した。

 森 繁委員長・木村美子・隈元達雄・永留宏之の各氏である。

 催しものについては、企画段階から(
渋る委員たちを相手にせず、強引に)、且つ、みごとに実行させた木村美子女史には頭が下がる。
 又、得意のIT技術を駆使して完成させた「想い出の八期」プロジェクター放映は永留宏之くんなしでは出来なかった。
 当日の名進行・司会を務めた隈元くんは後始末の会計事務も担っている縁の下の力持ち的存在だ。
 これで新しい6〜7名による本部体制が始まったといえる。

       話をプログラムに戻そう。
 ここでプレイベントとして行われた八期会親睦ゴルフ大会の様子をお知らせすることにしたい。
        八期会50周年記念ゴルフ大会
         場所:かごしま
ゴールデンパームカントリー。
         10月17日 2組 
  
 あまり目立たないが八期会の開催と親睦ゴルフ大会は切り離せない存在である。
 そしてその世話を初めからしているのが4組の市来龍作くんである。
 プレーメンバーがいつも少ないので全体のイベントの中ではマイナーなイメージであるけど、毎回、参加しているレギュラーメンバーにとっては本会以上に愉しく、かつ、思い出多いものなのだ。 これだけはゴルフをしている人以外にわからないものである。

 今回は村上久幸くんやゴルフを頑張りすぎて肩を痛め、翌日の50周年記念会をキャンセルしてしまった有里卓雄クンと言った、初参加の仲間も加わり秋晴れの芝の上を思い切りプレーしたことと思う。

 そろそろ、簡単なグランドゴルフに関心が移ってくる年齢になったけど、そうなればそうで、八期グランドゴルフ大会が盛んになって来るかも知れない。
 こちらは女性も参加出来るのでもしかしたら本会以上に盛り上がるかも知れない。

 50記念大会の優勝者は大阪からの上田健治くんだった。
 優勝賞金 50000000万円(万円以下切り捨て)
 副賞として:50記念湯呑カップが大会会長浜崎氏より授与されました。



  
 そして、いよいよ10月18日 城山・鳳凰の間に仲間が集まり始めました。

 収録写真の枚数が多いのですべてサムネイル(クリックすると大きく引き伸ばされる方法)でUPします。

これから先、左のサムネイル画像と、ここに書かれる文章はあまり連動して行かないと思う。


                 
おことわり。
画像は画像、ドキュメントはドキュメントで記録して行きます。
 多分に筆者の独断解釈があると思います。ご容赦ください。
 また、個人にいただいたメールなど無断公開するかも知れません。
 もし、気になる箇所があったらいつでもメールください。カットいたします。
 
 それではまず始めに今大会実行委員長の重責を果たされた


   森 繁 愛称眠 狂四郎氏のごあいさつから始めます

玉龍八期会の皆様、本日は全国各地よりこのように多くの会友の皆様にご出席いただきましたことに、実行委員一同心より厚く御礼申し上げます。

また、我々八期生のために恩師の今村先生、門内先生にもご出席を賜り心より有難く感謝申し上げます。

今日先生方のお元気なお姿を拝見して八期生一同まことに嬉しくまた頼もしく感じております。先生方にはこれからも更にお元気にお過ごしいただき、われわれ八期生をいつまでも見守っていただきますよう心よりお願い申し上げます。

さて、私は只今司会よりご紹介頂きました今回の五十周年記念同窓会の実行委員長をおおせつかりました2組の森でございます。

 ちょうど昨年の今頃福岡での八期会からの帰途高速バスの中で、浜崎会長から隈元君、永留君そして私の三人へ記念同窓会の幹事役を強引に押し付けられました。

 一旦は辞退いたしましたが、考えてみますと八期会が他の期に比べてもこのように盛大に継続できているのは浜崎会長の献身的な奉仕の精神と、大石編集長の卓越した技術による八期通信の作成配布によるものであることを考えるとき、

 更にこの記念事業の役を押し付けることはまことに忍びなく、私共三人と女性代表として木村美子さんに応援を頂き、何かお手伝いできることがあればと思い幹事役をお引受け致しました。

 本日八期生卒業五〇周年記念同窓会がこのように盛大に開催できましたことは、私ども幹事を補佐して頂きました各クラス代表の実行委員の皆さんのおかげであります。

 今年二月から準備に取り掛かりましてその献身的なご協力により今日の総会にこぎつけることができました。この場を借りまして感謝申し上げたいと存じます。本当にご苦労様でした。

 この集いの中で何かと行き届かない点もあろうかと存じますが、実行委員の皆さんのご努力に免じてお許し頂きたいと存じます。

さて、私ども八期生が共に同じ空間と場所を共有しました玉龍高校の三年間から、もうすでに五〇年の歳月が流れました。時の経つ早さに驚くとともに、今日ここに五十年ぶりに再会され、当時の紅顔の面影を探しておられる方々もいらっしゃるかと存じます。

これからのほんのわずかな時間では語り尽くせない様々な思い出があろうかと存じますが、懐かしい高校の三年間の青春時代を思い起こして頂き、また過ぎし五〇年間の様々な人生をお互い報告しあっていただきまして、楽しくご歓談を頂ければ幸いに存じます。

そしてまた次の機会にも、本日ご出席の皆様と、今回残念ながら出席できなかった方々にも加わっていただき、この八期会が今後もますます盛大に末永く続いていきますことを心より祈念いたしたいと存じす。

また、この総会の前に母校において三組の有村友宏君のご尽力により準備致しました桜の記念植樹を行いましたが、地元の方で植樹に参加できなかった方は機会をみて参観していただき、また県外の方は帰省の折に、桜の成長ぶりを見にお立ち寄り頂きますようお願いいたします。

本日はこのあと色々なサプライズもご用意しておりますので時間の許す限り楽しくご歓談くださいますようお願いいたしまして私の挨拶とさせていただきます。

本日は本当にありがとうございました。

         総会スケジュール

 
13:30〜15:50 玉龍高校にて植樹、校内見学

 16:00   ホテル送迎バスにて城山会場へ。

 17:00  受付開始(各クラス女性2名担当)

 18:00  全体記念写真撮影(ホテル付写真館

 18:30 総会(総合司会: 隈元・木村)

       1、亡師・亡友への黙とう
       2、実行委員長あいさつ
       3、会長歓迎のあいさつ
       4、恩師紹介とあいさつ
       5、記念の歌披露(指揮作詞作曲 永留)
          記念歌を聞きましょう

       6、乾杯(前回開催地代表 福岡 藤崎)

       7、祝宴
         実行委員紹介(踊りで入場)
         祝賀 ハワイアン
         懐かしのアルバム(プロジェクター説明 永留)
         初参加者の紹介
         各支部からの近況報告

 20:45 閉会
      1、大石編集長閉会のあいさつ(翌日のツアーの案内)

      
2、校歌「今日の日はさようなら」合唱
      3、エール指揮(柴田)
      4、出口で記念品(コップ、写真、CD)


 
21:45    解散そして2次会へ移動
   
   ドキュメント八期50年同窓会の会場より。
         平成20年10月18日 午後6時 

  まず記念写真を紹介します。出来るだけ人物を大きくという注文を付けました。
 結果は如何でしょう。
  クリックすると大きくなります。
● 式順通り、隈元・木村両司会者のリードで会は順調に進んで行きました。
 そして、突然、会場のライトが暗くなり、大きな囃子の祭りの曲が会場を包みます。
  「ひょっとこ踊り」のひょっとこ、おカメの登場です。

 
木村芸能担当のきびしい特訓の初お披露目の瞬間です。

余興は続きます。
 木村劇団のむちむちハワイアン・ショーです。
 団長の優雅で格調の高い、高レベル(ほめちぎり)のソロ、ダンスももちろん素晴らしかったけれど、月並みなお言葉で申し訳ありませんけど、
 「若さには敵いません。」ね。「むちむちした中腹部に視線がくぎつけ」いやいや、男性諸氏の目線のことです。
 弁解するようですが、筆者はおカメが疲れてまったく見ていません。
 ひとり、証拠の写真を掲載していいですか?
 昔、若いころに、「かぶりつき」、とかいってましたっけ。
 左の画面をどうぞ。

   八期会の皆さんから届いたメールを披露します

大石 慶二 様 森 繁 様 

 「玉龍八期会 卒業50周年記念 同窓会」で屋久島旅行を 含めて大変お世話になり有難うございました。お陰様で卒業後 初めて再会できた人も何人かおられ、とても懐かしく楽しい 集いでした。これも幹事の方々の周到な準備とご苦労のお陰と 有難く感謝しております。

 特に小生は参加の申し込みが遅れて、ご迷惑をかけ申し訳なく 思っております。  散会後、暫く鹿児島に滞在しながら鹿児島県内や宮崎・椎葉村 など見て周り、昨夕こちらに帰ってきました。「八期会」会長の 浜崎隆様に会われる機会がありましたら、小生からのお礼を お伝え頂けたら有難く存じます。 これから暫くの秋の好季節をお元気にお楽しみください。 取り急ぎメールにてお礼申し上げます。

                    相模原市・伊地知龍清

大石 様
 お久しぶりです。 八期会 50周年 同窓会 盛会だったようですね! おめでとうございました。
 ご承知のようにバングラデシュにて 日本語教育中です。 同窓会に参加出来なかったのが、
 大変残念でした。 今日、大阪の家へ 八期会からの記念の「湯のみ」が届いたとの連絡がありました。
 写真も送ってきまして、拝見しましたが、立派な湯のみのようですね。 帰ってからが 楽しみです。
 帰国は 12月25日 頃のよていです。  皆様に宜しくお伝えください。 取り急ぎ、無事に 湯のみ が届いたことを ご報告申し上げます。                有難うございました      有 馬


この度、玉龍八期会50周年大会無事終わりましたとのことご苦労様でした。参加したかったのですが、当日岐阜県でミニバスケットボールの試合がありまして、京都府代表で参加致しましたのでどうしてもそちらに出席できませんでした。皆さんにお会いしたかったのですが・・・・参加者が多く集まり盛大に行われたとの事、おめでとうございました。又、この度、私まで記念品を贈っていただきましてありがとうございました。大事に使わせていただきます季節の変わる折、ご自愛下さい。先ずは御礼まで                                                                   3年5組 松本 晃雄

早速のお便り、うれしく拝見しました。
メ−ル写真も又、思いを新たに、懐かしく拝見しました。今朝、いずみちゃんと一時間近くおしゃべりしました。
やはり故郷は最高でした。屋久島ツア−もけが人もなく、よかったですね〜。
二次会も最高でした。ハワイで又皆でダイヤモンドヘッドに登りたいですね。自分たちで行動すれば6ドルぐらいで済みました。オプションだと18ドル。使うところでは使い、ケチるところは節約!そのギヤップを楽しむのも旅の醍醐味ですね。
この八期会の方々とのツア−、最高でした。
         本当に有難うございました。    伊藤工子


大石様
50
周年記念同窓会が盛大に無事終えられ、何よりでした。
お疲れ様でした。色々とお世話になりました。
メール添付の皆さんの写真を見て懐かしく高校時代を思いだしました。

いつもメールにて当会の情報連絡いただき感謝します。
また本日 立派な記念の湯呑みを受け取りました。有難うございました。
                         上原繁良
   

ールありがとう。 皆さん元気!  若いですねー!
 いつも お気づかい ありがとうございます。 オプションに参加できないので 本当に楽しませて頂いてます。 そして ああ まだお話しできなかった方が いっぱいいるんだなあ〜  と思う事でした。
 私の伯母(母の姉さん)は 美容室を山之口町でやってたんですよ。 パリ美容室といいました。 やっぱり満州からの引き上げです。   子供がいなかったので 私を養子にと思ってたのですが  私や父の思惑やいろんな事情で 現在に至ってます。ひょとしたら 残留孤児になってたか とか  美容師になってたかも とか。 かも とか ばかりです。  この先どう進むのか ちょっと楽しみですね〜〜〜〜     未だに自分の方向がわかりません。 鹿児島の方々のパワーを いっぱいもらって  又元気になりました。 ホテルの展望風呂で朝日を拝みました。幸せです。 
   ありがとうございました              荒木



  今日、屋久島旅行をはじめ沢山の映像を拝受しました。 それぞれの写真を見ながら、早くも3週間になろうとする 初めての屋久島旅行を懐かしく思い出しながら拝見しました。
 これから思い出しては映像を見られるのが楽しみです。 「1日目と2日目のスケジュールに悔いが残る」と
 書いておられますが、小生は両日とも素晴らしい体験が でき、いい思い出ができたことを有難く感謝しています。 沢山の「屋久島旅行、咀嚼資料」をこれからじっくり 味わいます。取り急ぎお礼まで、有難うございました。                         相模原・伊地知

大石慶二 様
メールと写真ありがとう!たいへんお世話になりました。
大成功でした!感謝、大いに楽しみました、自分の「タイムカプセル」に大切にしておきます。
南日本新聞(夕刊)記事は全様がよく解りますし、ヒヨットコの写真が良かったよ!
早速、記念品の「玉八のコップ」でダイヤメ(焼酎のお湯割)をしました。明日はビールカップに、またコーヒーカップにと多目的に末永く愛用します。
「ひっとこ踊り」は一番のサプライズ、ただただ見とれていました、他のスナップを送りましょう。
ありがとうございました。みなさん方によろしく!
                  ちくしの ふじさきひろただ



八期会 充実した 楽しい会に育って嬉しいですね〜写真送信感謝です。木村門下生のアトラクション 素晴らしく あっという間に時間が経ちましたよ〜 末富さん  いつも北の国からよく参加されて感心しています。 八期会 来年が楽しみ ・・・ これも 大石さんはじめ役員の皆様のお世話のおかげです。感謝です。 
                    長崎 諫早   森永
 


卒業50周年の同期会、盛会で、一生記憶に残る会でした。幹事、大変だったことでしょう。参加者としては、かなり興奮し、終った後はかなりの虚脱感をあじわっています。屋久島旅行のDVD、写真を頂きました。ありがとうございます。わずか3週間前のことですが、懐かしく見ています。今年も喪中葉書のくる季節になりました。考えたくありませんが、我々も何があってもおかしくない年齢になりました。同期生から喪中葉書の来ることなく、元気でまた会えることを楽しみにしています。

老朋友;大石さん、ニィハオ(^o^)丿
 50周年八期会のDVD&写真・・・非常感謝!
 バックグランドの音楽・・・青春時代によく聞いた曲・・
・ 曲名?ボケボケ・・・ハハハ
 素晴らしい編集で・・・最高! 
  またまた「人生はこれから」という気になりました。
 これからも、浜崎&大石コンビで八期会を元気に 引っ張って下さい!
 祝 身体健康! 万事如意! 再見!                                        村上久幸 
                  
 
今、ビデオ見ています。BGMが素敵!編集、選曲が良くて、きっと、何年か後に見ながら泣いている私がみえます。お暇な時に、歌手と曲名を教えて下さい。                          典子

大変ご無沙汰しております。 50周年記念同窓会お疲れ様でした。112名の参加で盛会だったそうでおめでとうございました。小生、都合がつかず参加できませず申し訳ありませんでした。 また、記念品までお送り戴き恐縮しております。ありがたく使わせていただきます。 実行委員の皆様にもよろしくお伝えください。 取り急ぎ、一言お礼まで。                                       塚田 哲郎

前略
 写真、DVDありがとうございました。
  スゴイ!ですね。旅の全貌が良く編集されていてこの1枚で完全な旅の思い出になります。余程、予め覚悟して臨まれたものと思います。改めてお礼申し上げます。楽しい旅でした。
 17名の登山勇士の写真もいつまでも残る記念となるでしょう。
  又の機会を楽しみにしています。
                              横須賀市     大山  寛

 
玉龍の集まりは最高で、天国にいる気分であった。
 ワイ達、今回の集まりを支えた人達には120余名の出席者全員が心から感謝したと思う。
 また、八期会通信の名編集長にもシェーシェー、シェーシェーの念でいっぱいであったことと思います。
                                千葉市 崎元雄厚


先の卒後50周年記念同窓会は盛況のうちに旧交を暖め得たこと誠におめでとうございました。
 役員の方々、実行委員の皆様、1年がかりのプラン立ち上げから執行当日、また、終わっての反省会等々・・・
御苦労多かったことと拝察いたし感謝の気持ちでいっぱいです。
 私は故郷から遠方に住んでおり、この大きな節目の同期会を心待ちしておりました。
 
 が、体調不良で出席できず、残念至極に思っているところです。
 また何年か先いい機会に恵まれますことを念じております。

 せんじつ、その時の記念の御品ご送付いただきました、お礼申し上げます。

 このところNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」2週続き。
    2日の「おーいにっぽん鹿児島県」
 9日テレビ朝日のam9:30「にっぽん・・・・・・」
 篤姫にちなんで鹿児島、大人気で故郷を懐かしく見ています。
 “ふるさとは遠くにありて想うもの”でしょうか。
 私達節目の今年 ふるさとを思い浮かべる好機に恵まれましたことに感謝して
 これも在郷の多くの方々のあたたかくやさしい心遣いの賜物。
 これからもよろしくお願い申し上げます。

 八期通信、名簿 ありがとうございました。
 こんどはしまい過ぎて分らなくならないよう大事にします。

 これからの人生健康だけが第一 くれぐれもご自愛くださいますよう。

 当地、窓から見える北アルプスは白く輝いています。市街地もあと十日も経ちますと平年の最低気温はマイナスに転じます。
 四か月ほどの冬ごもりに入ります。

           松本市      龍岡順子



 

今晩は!!立派なDVDありがとう。早々見ました。屋久島のんびり森林浴でしたね。私も若かりし頃{18年前}安坊から2日間かけて、宮之浦岳登頂を思い出しました。とても苦しい登山だった事思い出しながら、・・・。皆さんの楽しい話声が、聞こえてくるようでした。  篤姫巡りも、楽しい旅でした。紫芋のソフトクリームも食べて、満足でしたよ。歴史の勉強にもなりました。幹事の皆さん色々企画してくださりありがとうございました。      DVD大切にします。私の宝物です。
  お礼まで。  お元気でお過ごしください。   加納(*^^*)

 皆様にFAX致しましたら 大変です
 私は 2です ハローグッバイのフレーズが物悲しく
 ひしひしと胸に迫ってきます
 私は 1番の過ぎ去りし思い出はです
 これでスッキリしました CDを買います
 大石さんの最高傑作ですね(これからどんどん秀作出ます)
 男の方にも 貴方にメールしていた 大山君にFAX
 村上君に 郵送しました
 本当にありがとうございました
 今夜から皆様ゆっくり眠れるでしょう 楽しい夢を見ながら
 今晩も見てから夢路に入ります・・・とメールくれた方
 もう10回 見たそうです
                   15日夜   マーコより
      


   
 気分転換に散文詩をいくつか載せます。


    夢をけずりながら 年老いてゆくことに
    気がついたとき  はじめて気づく 空の青さに
    あの人に教えられた  今さらながら
    涙こぼれて    酔いつぶれた そんな夜

    陽はまた昇る  どんなひとの心にも
    生きてることは燃えながら暮らすこと
    ふゆ晴れの空    ながれるけむり
    春まだ遠く 悲しむ人よ  あなたを愛す。
                              

     峠に立つと  私は少年にかえっていた
      蛇行する   白い流れが  盆地を二分しえいる

    
 手前のすそ野にはすでに     夕影が広がって  
      ぽっぽつと月見草色のあかりがともりはじめた。
     
      あの灯りの中にひとがいる。 家族がある
      そしてちいさな村がある。
  川べりの村で過ごした
      少年に日々が
      いま 夕景色のなかから  わきあがってくる
      駆け下りてゆきたい    舞い降りてゆきたい  
      やがて盆地はふかい 闇の底に沈む
      ふるえる心を抑えながら  道を下って行った。 
                   

      
いい旅を あなたは していますか?
      ぼくはいま最高の旅の途中です
      いい人に たくさん 出会いました。
      素晴らしい恋も 切ない思いも沢山しました。
      他人を裏切ったり 裏切られたりもありました。
      たくさん泣きましたし沢山笑いもしました

      すべてのことにありがとうです。

      ところであなたはいい旅をしてますか? 
      わたしは最高の旅をしてますよ。
      もうそろそろ私達の旅も半ばでしょうか
      いままでのことをぜんぶ
      思い出好きなみんなに話したくなってきました
      自分を覚えておいてほしいからでしょうか
      
      さいわい足はまだ疲れていません
      ところであなたはいい旅してますか?
      ぼくはまだもう少し したい旅があります
      今しかできない旅 我がままでしょうか
      そして  最高の旅の途中で
      最後のアリガトウを言いたいのです。 
       詠み人知らず

   
今回、屋久島ツアーに参加された皆さんに自分で撮った記念の写真を送ろうかと思ったのですが、200枚以上のデジカメ写真を撮ったので、それぞれに送ると1000枚を越えることになりそうです。

いろいろ思案した結果、また昨年のようにスライド画像にして、それをDVDに収めることにしました。

 これだと、好きな時に大型のテレビ画面で家族と一緒に見ることが出来ます。
 ということで、ここから、僕のスライド写真用の編集が始まりました。

 一件、大変なようですが、もともと編集・構想は趣味の範囲なので、これが少しも苦になりません。他人に作って差し上げる、というより、、より完璧な作品を作ることが目的になってしまいました。

友人たちの撮影したショットも中に組み入れたくなりました。実はこの作業がいちばん難しかったです。というのが写したカメラが違うので一枚一枚についているナンバーが違うと、折角、順番に配置しても、いつのまに自動認識してそれぞれのフイルムナンバーに分かれてしまうのです。

 さいごにBGMです。いろいろ曲をつけて、家に帰っては妻に聴いてもらうことでしたが、BGMによってスライドに写っている仲間の表情まで変わるのですね。

 明るいホップな曲だと若々しく、生き生きと見えるし、スローバラードだと足取りも重く
暗い表情に見えるんですね。
 大塚博堂の「青春は最後のおとぎばなし」を貰った人がいると思いますが。

 あの曲はぼくの好きな曲の一つですが、うちの妻が「これだけはお送らない方がいいと思うよ」と、すぐ言った曲だったのです。
 「そうかな、スライドに合う曲だと思うけどね」「ひとり、重い病気で来たかったけど、どうしても来れなかった友人にいちばん先に送ってあげようと思って選曲したつもりなんだけど」 すると、
 「とんでもない、あなたは、あの中の繰り返すフレーズを聴いたのね?」「とても失礼なことよ」と目をまるくして言うのです。

 翌日、そのことを親友の隆くんに伝え、彼にBGMを聴いてもらったら
 「そうでもないよ、こんにちは、さよなら・・・と言ってるから、いいんじゃない」
 
 でも、やはり彼にはそのBGMは送りませんでした。とても賑やかでなつかしい当時のヒット曲「トム・ドゥリー」を送りました。

 最初に作った30枚は20枚が大塚の「過ぎ去りし想い出は」で、昨年、韓国に一緒に行った仲間には「トム・ドゥリー」にしました。
 そのあと、すでに10枚作っていた「青春は最後の・・・」を誰に送ろうか、実は迷ったのです。
 それらのDVDには50周年当日の植樹祭から式典・宴会のスナップなど、内容はまあまあでしたのでまあ、音楽を気にしなければ「いいかも」と思いながら出しました。

 案の定の結末でした。
 「わたしは何年か先に この曲を聴きながら、目に涙をうかべながらDVDを見ていることでしょう。」 とか、

 「ふさわしいバックミュージック、“葬送曲に使おうかしら”と先日、*ちゃんと電話で話したところ“みんなが真似するかもよ”と言って笑うことでした。・・・等々

  一昨日(19日)忘年会を兼ねて50周年大会に手伝ってくれた実行委員の仲間と「打上げ会」を開催しました。
 やはり、その席でもDVDの挿入曲が話題になっていました。
 曲名と歌手を教えてほしい、とのことでした。でも、ぼくはひとりひとりにどの曲の入ったDVDを送ったか、わからなくなっていたのです。

 東京へも、堀田さんにメールでくわしく教えました。
 
 まあ、そんなこんなでBGMが皆さんの話題になって戴きありがとうございます。

 昨日、実は鹿児島グループに「買うのが面倒ならぼくが作ってあげましょうか?」ということでいろいろ編集して作りましたので、もし欲しい方があったらご一報ください。

 
当日、50周年に出席されなかった方でスライド写真でみる当日のDVDを欲しい方がありましたらそちらも、メールでその旨をお知らせください。

 また、50周年に参加した方の中でオプショナルツアー(屋久島・篤姫)に行かれなかった方にも送っていません。

 現在、植樹祭から当日の宴会・二次会までの写真も沢山ありますので、同じくメールで希望をお伝えください。作成してお送りしましょう。

  尚、当日参加のみなさんにはちかいうちに関西八期会の新名クン撮影のDV動画のDVDが届くことになっています。
 たのしみにしていてください。

 

50周年記念八期同窓会 お礼が遅くなり申し訳ありません 屋久島のツアー楽しそうでしたね 私の参加させてもらった篤姫ツアーでは指宿の広濱さんに大感激の麦茶と果物の差し入れを受けました。これ程の心ずかいをして下さるとは思いもよらない事で今日まで虚脱感におそわれていました。やはり一番の素晴らしい出会いは八期生の皆様だったようです。メールの中の散文詩の中に「いい旅をあなたはしていますか?」の詩 読みながら胸が詰まって潤んでしまいました。やはり最後にアリガトウを伝えたい人生でありたいです。DVDBGMも素晴らしかったです 早速CD買います。本当に有難うございました。   又のお会いできる日を楽しみにしています      HO

さすが!  すばらしいDVDです。編集ごくろうさまでした。
 挿入歌も素敵で50周年記念をとても思い出深いものにしてくれています。
 夜、時間に余裕が出来ると一人で思い出に浸っています。
 何回見てもいいですね。ゆっくりお話が出来なかったこと残念でした。
 次の企画楽しみにしています。
 遅くなりましたがたくさんの感謝をこめてありがとうございました。
                                  siba hiroko

今年も紅葉と共に冷え込む日も多くなりましたが、御地はいかがですか。
 去る6日、心当たりのない宅急便で思わず受け取りながら送り主を確かめたことでした。
 “玉八”入りの斬新なデザインの器を見て「これ、大石さんが、ひょっとして・・・・・と、思ったのですが・・・以下略               角洋子
                       

大石さん
今日は私の六十九歳の誕生日・・・感謝・感謝です。もう七十歳かと思うところに「記念同窓会のDVD」をみて青春時代を・・・気持が若返りました。子供たちに自分たちの高校時代を話してもうなずくだけでわからないでしょう。私だけがわかれば良い贈り物でした。先日近くの有里君とばったり会い、彼の方から・・・あなたに送って頂いた記念同窓会のメールの話でしばし立ち話でした。元柔道部も五十肩で通院中とのこと。いつも、あなたのおかげで毎年の同窓会・今回の記念同窓会も始まる前のメールの内容、そして終了後あらためて思い出させ記録まで残して頂き遠慮なく貰います。私も県外の同窓会へ参加したいのですが、介護の母を抱えて遠出が無理で残念です。会長はじめよろしくお伝えください。良いお年を迎えてください。                    市内 下田町六七九ー一〇二 益山敏弘


 昨日の私は休み。溜まった家での仕事や、例によって奥方のご下命による仕事などで一日中良く動いた。 先ず朝 会社に寄ってメールチェック。12月11日、12日にある東京本社での会議資料 の資料作成の依頼が来るはずでこれは休みの日でも気になるので、チェックしたが来ていない。今回は17日まで休みなので、明日くらいにはもう一回行かねばなるまい。

 そのあとスーパーへかみさんから頼まれた買い物へ。 帰ってみるとかみさんは、近所の人の車で15日のどんぐりの会と愛護会の子供達との 交流グランドゴルフ大会の賞品などを買いに出かけていた。 このグランドゴルフ大会は我々高齢者と子供たちの交流をはかり半日を楽しもうというもので

 昨年11月に第一回を行い今年が2回目。当日は大人12人、子供12人と付き添いのお母 さんたちも加わり、楽しむ。子供達には参加賞やホールインワン賞などもあり、終わって皆で弁当を食べるという大人も子供も楽しめるという企画である。

 午後からは、かみさんとヤマダ電気に行きプリンターのインク4本、ファックスのインクリボン、  印画紙などを買う。これで年賀状印刷までは一安心だが正直痛い出費である。(泣き) そのあとスーパーへ日常品の買い物へ。夜はもつ鍋とした。

 それから家に帰り冷蔵庫に置いたあと農園へ。その時は4時半になっていた。秋口に植えた葉野菜類が収穫期を迎え沢山採れる。サラダやみそ汁に大活躍である。 家に帰ったのは6時だった。久しぶりに暖かい日だったので助かった。  皆さんのリクエスト?に応えて同窓会の記事・ひょっとこ踊りをアップしました。

 迫真の演技でしょう。

大石慶二様

外は、山紅葉照るも褪せて、冬色日に日に感じ入る時節下、お変わりありませんか。
2008年、大いなる八期会の50周年の宴、記念の日に参加ができまして、あの1958年の青春、
懐かしい諸兄諸姉との再会で愉しい想い出に浸り、八期会にしかない宝物を、元気を貰いました。
ここまでのexelでの名簿作成を初めとして、八期通信の発行、当日の企画構成等のご尽力に、改めまして感謝します。
また、この度は、作成されたDVDライブラリーを送ってくだされ、有難く受領しました。
早速再生して見ようとしたところ、生憎DVD再生機器が故障していて、残念なことにお預け状態(修理可で修理依頼中)です。
ここに略儀、上お礼まで。向寒の折柄、ご自愛くださいませ。そしてモウ来年、どうぞ良い年をお迎えください!





 





















   屋久島・悠久の旅  2日間

      1日目(森を探検)
  屋久島の夜の宴(うたげ)
 盛り上がった2次会カラオケ


 2日目は滝と海岸を巡る。

           浜崎 隆玉龍高校八期会会長挨拶

 本日、鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業50周年を迎え、ここに恩師はじめ八期卒の皆様112名と共に集い記念の式典を催すことを誠に喜ばしく思います。
 
           
朋あり、遠方より来る   また楽しからずや 

本日は孔子の言葉をもって皆様をお迎え致します。懐かしい皆様にお会い致しますと、一気に50年の時空を越え、緑濃き玉龍山福昌寺の麓に整然とたたずむ、玉龍高校の生徒に甦った気持ちになります。

 青春時代と言うにはまだ幼い、青春の始まりにすぎない、あの3年間に培った感受性豊かな年頃の、憧れや感動、そして、心身の鍛練は、皆様のその後の生き方に大きな影響を及ぼし、そして今日の我われを形成していることと思います。


 よりよい明日を信じた当時に、今に至る様々な要因がちりばめられていたように思います。
 今日、母校に346名の卒業生の想いを込めて、50周年記念の桜の植樹をしてまいりました。
 松尾芭蕉は 「さまざまなこと思い出す桜かな」
 と詠みましたが、あの、「そめい吉野」が10年、20年、そして50年と時が流れた時、私達の子供や孫は、満開の桜に何を想い、どう語り継ぐことでしょう。


  私達の生まれ育った昭和は、遠くなりましたが、貧しくとも光り輝いた昭和の足跡は胸を去らず想いを新たにします。
 限りある人生の節目の一つとして、本日の集いが皆様の良き想い出となります様に願っております。
 最後になりましたが、皆様のご健康と弥栄を、そして、玉龍の益々の躍進を祈念いたしまして、ご挨拶といたします。

1日バスツアー「篤姫の足跡をたずねて」一行の思い出写真をUP.

ここから2次会の画像です。

鹿児島玉龍高校八期50周年記念同窓会

浜崎 隆八期会会長

玉龍高校学校側世話役の挨拶

森 繁50年実行委員長

2008年(平成20年)10月18日(土) 
鹿児島市城山観光ホテル 鳳凰の間